芸術生活を考えるヒント

先月各地でお話した内容の一例ですが、日本人というものは「美」というものを文化の中心に置いてきました。ですから悪いことをした人間を「あいつは汚い奴だ」という表現で、非難します。「悪いことをする」と言わないで、「汚いことをする」と言います。金の使い方でも「金に汚い」などと言います。

ものの基準が美しいか美しくないかで、判断するのです。約束を守らないということを「美しくない」と捉えるのです。そうすると、芸術生活と言うけれども「美」というものの考え方を一般的な芸術品ということだけで受け止めてしまうと、我々の目指す方向を狭くしてしまいます。

メシヤ様は「真」「善」「美」と仰った、その「美」というものを、実は生活がキチンと執り行なわれている姿を説いているのです。人と人との約束がキチンと守られている。挨拶をするとか、時間を守るということを重要視されていたのです。そういうことからメシヤ様は、時間を守らない人のことを『信仰の落第生』という表現でお話されていますが、実は我々の芸術生活というものは、芸術品というものを見て人格を高めるということで話をしてきましたが、実は日本人自体が本来「美」というものをどのように捉えていたかということが一番根っ子にあるということを自覚しておかねばなりません。

そういうことを私達は、浄霊と自然農法と芸術という御神業の三本柱を考えてゆく時に、自分達の目の向けどころを活動的なこと、形ばかりに向けるのではなく、本来メシヤ様は何をお示しくださったのだろうか、ということに心を置いて考えていただけると大変有り難いと思います。

そうしなければ、世の中で起きていることに対する問題解決というところに中々繋がってゆきません。例えば、先程お話した麻疹(はしか)のこと、それから学校で起きている問題。今学校の教師の方々で心身症を患っている方々が非常に増えているそうです。そして職場放棄せざるを得ない教師の方々が急増しているようです。

その原因は、世の中全体が、素人の意見がプロに優先されるという風潮の影響です。(具体例は割愛しますが、)日本を覆っています。そのために私達の周辺で様々な問題が発生しています。それ故に日々御教えを拝読し、長く拝読する必要はありません。一日30分でよいのです。そして本来の人間生活とは一体何か、ということを求めて、メシヤ様が教えてくださっている人間生活とは何か、ということを自分の課題として持って生活していただきたいのです。

そうしなければ世の中の流れにダ~と流されてしまい、自分を見失ってしまいます。

平成19年6月メシヤ講座より

 

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