復興事業の必要性
メシヤ様は、「世界救世(メシヤ)教」の前身である「大日本観音会」を昭和十年元旦にご立教されました。その折のご真情を『私の信仰の経路』として御講話になられた訳です。立教後、昼夜を問わずに御神業に没頭されましたが、ご苦労の連続でもありました。
目の醒めるような鮮やかな奇蹟が相次ぎ、破竹の勢いで教線が伸びましたが、昭和二十年代初期までのご苦労は主として外圧によるものでした。
当時あらゆる分野に亘り問題解決策を提示され、それが核心に迫るものであり先進性に富むものであるが故に、理解できる人も少なく社会の誤解を招くこともありました。
例えば、病気が治る結果“医療や薬事が不用になるのでは”と関係者に不安を募らせることもありました。また、自然農法の普及により“農薬や化学肥料が不要になるのでは”などと関係者に脅威を与えて、結果的に形を変えた世の中傷に見舞われました。
そのような時期は、教団内もメシヤ様を中心に一致団結して御神業を進めておりました。ところが、信教の自由が保障され、いよいよ新しく態勢を整えて御神業を進めようとされた時に、思いもよらぬ事件が起きてしまったのです。『ご法難』です。
メシヤ様は『開教の辞』において、『右両会(日本観音教団並びに日本五六七教会)を打って一丸としたる構想の下に、本年(昭和25年)二月四日立春を期して、表題の如き宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現となったのである』と述べられていますが、実はこの時水面下で両会の間で権力抗争があったのです。
一方が一方の経理上の問題を当局に流したと言われています。そのことのために、メシヤ様が直接逮捕され取り調べを受ける事態に至ったのです。開教からわずか3か月後のことです。
それまでは外圧によるご苦労であったものが、足元である内部抗争に起因するご苦労が始まったのです。
御神業推進を阻むもの
私は、高弟と言われる方々の間で何故そのような忌まわしいことが繰り広げられたのか、長年疑問でした。しかし中島一斎先生の身内の方から諸事情を伺う中で、開教の5日前にご他界されていたことを改めて知らされました。このことが大きな原因であったことが今更ながらに思い知らされました。
大先達の訃報がその系列に暗い影を落としたのです。人間の弱さと見るべきでしょうが、布教三訓にある『メシヤ様との共同作業』という御神業の大原則に何故立ち返らなかったのか、と思えてなりません。
メシヤ様は、『開教の辞』において『私は、これまで顧問の名の下に、いはば蔭にあって経綸を行っていたが、漸(ようや)く基礎的工作も出来上がったので、茲(ここ)に表面的活動に移る事となった訳である。端的に言えば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである。従而(したがって)各般に渉って漸次組織形態は固より、活動の形式も新しく生れるのは勿論である。』と並々ならぬ御意欲を示されていますが、実現しない結果に終わっています。
しかも、その取り調べの際に、メシヤ様は度重なる脳貧血に襲われ幾度も意識不明に陥られております。メシヤ様は『頭脳の拷問であった』と述懐されていますが、その脳貧血の後遺症とも思われる症状により寿命を縮められております。ご法難からわずか4年余でご昇天されたのです。
大変遺憾なことは、ご昇天後「世界救世(メシヤ)教」の呼称を変えてしまったことです。その背景には教団執行部が大本教に相談した経緯があるようです。それは祭事様式からも見ることができます。メシヤ様は『極アッサリするように』と祭事についてご教示されていますが、二代教主推戴式では大本教式に戻しております。
またその後、祖霊祭祀事業にも手を拡げています。これはメシヤ様のご精神を無視した取り組みと言わざるを得ません。何故なら、第二次世界大戦後、日本では雨後の筍のように先祖供養教団が創立されましたが、メシヤ様は『仏のことは仏に任せろ』と仰り、生きている人々の救いと神意の伝達に終始されたからです。
メシヤ様のご精神から大きくずれていった訳です。『私の信仰の経路』では、大本教に対するご指摘から「宗教の原則」を述べられたのですから、大本教寄りになった時点から「宗教の原則」を踏まえなくなってしまったとも言えます。
一方、大本教色を深めると共に、教えの取り次ぎ方を微妙に変化させてしまいました。
宗教学者の岸本英夫氏の説によれば、「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である」とあります。この究極的な解決という点が薄れていったのです。
高学歴の者が宗教的体験を積み重ねずして指導的立場に立つようになったために、マルチプルアウト的表現を用いて導こうとしてしまったのです。これでは「宗教改革」「医学革命」が進むはずがありません。
また、運営面に重点を置くあまり、バランスシートに沿って“割り当て”的に成果を求めるようになりました。バランスシートを用いる手法は、考え方としては必要ではありますが、それに囚われ過ぎると宗教性が薄れてしまいます。無駄をなくすことはメシヤ様も心掛けられましたが、冒頭述べましたように“必要な時に必要な分だけ入ってくる”ということが宗教の原則なのです。
一度歩がズレますと、先へ行く程ズレ幅が大きくなり、当人は宗教のつもりでも、宗教性を失ってまいります。
復興事業推進の上で心すべきこと
このように見つめてまいりますと、第一に、『メシヤ様のご神格の認識を確実なものにする』ことがなくてはなりません。次に『宗教の原則を心得る』ことが重要です。そして、特に指導的立場の者こそ『率先垂範する姿勢』がなくてはなりません。
これから、更に志を同じくする人々と手を取り合って「世界救世(メシヤ)教」復興事業を推進する上で心しておかねばならないことですので、特記しておきます。