日蓮上人が目指したものと継承宗団との違い
何故に「日蓮の健気さ」について着目するのかと言いますと、これまでの(メシヤ様を教祖と仰ぐ)教団では御教えの一つひとつに対する考察が浅いことと関係します。
例えば『日蓮上人の出現によって夜昼転換の黎明期を迎えた』と御教えにあるにもかかわらず、そのことに対して解説をする先達に出会ったことがありませんでした。御教えに対する解釈が(メシヤ様を教祖と仰ぐ)各教団で不十分だからなのです。そのために、人類史におけるメシヤ様ご出現の意義付けが弱いのです。これはご神格の確定にまで及びます。
8月のメシヤ講座で『救い主と贖罪主』を拝読し、種々な質疑応答を重ね、日蓮上人の立ち上がった仏教改革に話が及びました。その折に最近まで葬儀社に所属してお寺の斎場に勤めていた方から興味深い話が出ました。
それはある高名な僧侶の講話のテープ起こしを依頼された時に、「法滅尽経」の部分が聞き取りにくく経営に携わる僧侶に確認したところ、解らなかったそうです。しかし幾度となく聞き返してみると、「法滅尽経」のように受け取れたそうです。御教えで拝読したことがあるので、思い当たったのです。
そこで、また僧侶に確認したところ、「そうだろう」ということになったそうです。ところが、「法滅尽経」を聞き取ることができた手柄を自分のものとしたそうで、呆れた話になったそうです。
話してくださった方は御教えを拝読していたから解ったのですが、僧侶は勉強不足のために解らなかったのです。日蓮上人が叫んだ仏教改革は、実は僧侶の勉強不足を指摘することが第一にありました。
ご承知のように、お釈迦様の説かれたお経の数は膨大です。それを全て読破することは至難な業だ、と受け止められていましたが、日蓮上人は全て原書(中国語)で読んだとされています。そして、読んだ上で各宗の説くところは部分的で神髄ではない、と看破したのです。
全論を読んだ者と部分しか読んでいない者とでは、話にはなりません。不利になった僧侶達が日蓮上人を排撃したのです。
そして、次に指摘したことが僧侶達と為政者との癒着です。これは、歴史に見ることができますので多くの言を必要とはしませんが、当然ながら権力者から迫害を受けました。
それでも尚且つ、日蓮上人は仏教改革を叫んでいったのです。そこに日蓮上人が目指したものとその継承宗団である創価学会の違いを見ることができ、『散花結実』の散花は現状を指していると強く思わされます。
また、日蓮上人の取り組みを通して言えることは、組織ではなく個人の取り組み、その一点において歴史の転換期を迎えたということです。そのことを道にある者は強く受け止めておかなければなりません。
夜昼転換の黎明期の意味と地獄から救ったという意味
それと共に、以上のように『日蓮上人の出現によって夜昼転換の黎明期を迎えた』とある反面、『地獄にいる日蓮を救った』というお言葉もあります。
このことに対する解釈がまた不十分のために、御教えを正しく理解できないことになるのです。夜昼転換の黎明期を切り開いた人物が何故地獄に在籍しなければならなかったか、ということです。
これは異質な場面ではありますが、私の体験から“返り血”のようなものを浴びたということだろう、と推察できます。
かつて教団改革で奔走した折に、「権威の崩壊」が進んでいたにもかかわらず、教団内では多くの年輩者が権威にしがみついていました。そこへ二十代の若造が全く耳にしたことのない情報を手にして動く訳ですから、それが真実といえども逆恨みの対象となりました。
また、せっかく築き上げたと思っている組織を解体する方向へ突き動かす取り組みでもありました。その渦中では、組織の中で生きてきた人々の信念体系が崩落して、真実を知らされたとしても、逆恨みの対象となりました。
その想念は正しくはなくとも、恨みでありますので、返り血の如くこちらの霊体に覆いかぶさってくるのです。そのために、改革を進めつつも個人的な問題も発生しました。それは法則的に起こってくるものですし、神律の下に生じることで、どうしようもならないものなのです。
正しいことを進めるにしても、改革には伴う厳しい現実もある、ということです。それだけに、指導者は信仰をする人々を身を挺して正しく導かねばならないのです。メシヤ様が布教師に対してお説きになったことの中から出来上がった「布教三訓」と「るナ三訓」は、そのためにあると痛切に感じます。