薬毒
『不十分』と言われた、間違っている原点は何かでありますが、メシヤ様は『世界に知らせよ薬禍薬害』と叫ばれ、『薬毒』をご指摘されておられます。
というのは、三千年前に日本に文字があったということを殆んどの方は知りません。三千年前に日本には、大体、七十五声に対応する文字がありました。しかも、そのわずかな数の文字で、全ての事柄を掌握していたとされています。
それは何故かと言いますと、薬毒がないので生れてからの全てのことを記憶していたのです。ですから文字が必要ないと言えば必要のない状況であった訳です。文字は皇室で行事の記録や祭事などで使用されていたようです。
しかし、現代人の私達は薬毒のために記憶力は劣ってきました。生涯を通して頭脳の二十分の一程しか使用しないとも言われています。ノーベル賞受賞者で十分の一を使用するということです。殆んど使用しないで生涯を閉じる、と言っても過言ではないのです。
薬毒を排除しながら生活してゆきますと、段々と頭脳を使えるようになります。そうしたことを考えてゆきますと、今月は大変な告白を耳にいたしました。それは、“薬毒は恐ろしい”と心底思わされる事柄です。(具体的な内容は割愛します。)
日常生活の中で、人生の分岐点に立つなど様々な判断を迫られた時に、人間は迷います。そのような時に叡智をいただきたいのですが、中々思い通りにはゆきません。そうした繰り返しなのですが、これは三千年来の薬毒の集積の上に頭脳が働き難くなっているので、鮮明な頭脳を持ち合わせてないように感ずるのです。そのことを分っていなくてはならないと思います。
これから更に幸せな人生を歩んでゆくためには、どうするかということになりますが、私達には幸いにも御教えというものをいただいておりますので、日々御教えに触れつつ生活を送らせていただこう、ということで良いと思います。
本日ここまでの車の中で、支部長さんから「色々な問題に出くわしたり、色々な相談を受けたりしますが、毎日御教えを拝読していると、たまたま前日拝読した御教えが答えになるようなことで電話をいただくことが多いのです」という話を伺いました。
実は私達は叡智をいただきたいのですが、その上に神智というものがあります。これは学ばずして授かる智慧だと教えられています。こうして日々御教えを拝読させていただきますと、必要なことは事前に神様の方から知らされているかのように眼に入ってくるのです。
そういう境地にお互いに立たせていただきたいですね。そうした日々を送らせていただくと、お互いに意義ある人生となるのではないか、と受け止めさせていただきながらこの祭典を迎えさせていただきました。