宗教を忘れると何故諸問題を発生させるのか

人は宗教行為を執り行ったが故に人になりました。ですから“宗教が嫌いと言う人は人間ではない”と言えるのです。

では、現代人の中で「宗教が嫌いだ」と言う人が多いのですが、現代人は本当に宗教が嫌いなのか、ということを考えますと、「NO!」であります。大概の人は正月に自然な形で初詣に行きます。神道を大切に思っているからかどうかは別ですが。また、クリスマスをほとんどの日本人が祝います。無意識ながらキリスト教徒となっているのです。結婚式も教会で挙げる人は大勢います。

また、仏教形式のお葬式には必ずお数珠を持参します。お数珠を手にすることにも余り違和感を感じないようです。ですから、宗教を嫌いな人は余りいないと判断しても良いのです。

「宗教が嫌い」と言う人は多いのですが、そのほとんどの場合「宗教団体」のことを指し、それを嫌うのです。また、その意味するところは、おおよその人が嫌う宗教は、創唱宗教ということにもなり、複雑な思いにもさせられます。

これは、各教祖が苦悩したこととも通じます。真理が全て明らかにされていないために、布教の本来のあり方を見失い、教団執行部は視野狭窄状態となってしまうのです。その指導の下に教化されるので、違和感が生じるのです。

そこで生命誌をもう一度思い出していただきたいのです。38億年前に地球上に生命が宿ってから進化を遂げて、猿と人間が枝分かれをしました。その時に決定的だったのが宗教行為を行った、ということでした。動物は、死を迎えると姿を隠します。自らの死体を自ら埋葬する、という表現を用いました。

事故死、並びに人間に拘束された場合を除いて、私達は動物の死骸を目にすることはありません。人間は他の人に埋葬してもらいます。これが決定的に人と動物の違うところです。

故に、人間が人間であり続けるためには、宗教行為が伴うのです。この場合、死を悼むということがあります。死を悼むという精神性が欠如してくると、悲惨な事件が起きます。その根本義からずれると、人間生活ではなり難くなるのです。

私達が宗教観の整理を試みている理由は、人類の歴史を的確に把握し、メシヤ様が進められようとされた御神業を正しく理解するためです。そして、本来の宗教の使命を果たすためなのです。

使命を果たす主眼は、本来の宗教のあり方を示す『宗教改革』と『医学革命』です。そして、これが『主神様のご意図』というものです。何故なら、すでに『最後の審判』は始まっているからです。始まっているばかりではなく、様々な学説を考察すると5年後の12月23日にピークを迎えるのではないか、と思えるのです。

平成19年10月メシヤ講座より

 

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