国常立尊と天照皇大神の押し込められ給うたことの相違は
今回は三重支部の濵口博幸さんから送信されたメールを紹介して、解説を加えながら皆さんと共に学んでまいりたいと考えます。(便宜上、メールに対してこちらで数字を貼りつけて掲載し、それに対して順次触れてゆきます。)
≪**内がメール部分≫
***********8月16日***********
気になる御教えがありました。
① ――国常立尊と天照皇大神の押し込められ給うたことの相違は……(お伺い)
『天照皇大神のことは割に近い。近いと言ってもいまからだいぶ昔だが、ところが国常立尊のはそれよりずっと前で別個のことです。国常立尊は天若彦命らにより艮に押し込められたが、天照皇大神は素盞嗚尊に攻められ御身が危くなって逃げられ、信州水上山へお逃げになり、その地でおかくれになった。そして御髪の毛を切って御神体としてほうぼうへお祀りしたんです。日枝神社なんかはそれです。 ( 御光話 S23年5月18日 御光話録・補)』
○日枝神社には天照皇大神様の御髪の毛が御神体としてお祀りされていたのですね。
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≪解説≫
①について―夜昼転換の周期
最初の御教えは、統治権の移行が夜昼転換の周期となり、それが神話に盛り込まれたことを垂示されたものです。主神様の御経綸の現れとして起きていることと教えられたからこそ、理解できる思いに至ります。しかし、現実的にはこのように長い時間軸の歴史観を正確には理解することはできません。
しかし、稽歴、ユダヤ暦、皇紀、仏歴、西暦など現代に残されている記録と照らし合わせて拝読する姿勢を持つと、解らせていただけるところも存在するものです。稽歴やユダヤ暦は皇紀の二倍余りですし、稽歴は西暦のほぼ三倍になります。そうした時間軸を御教えに照らすと興味深いものとなります。
メシヤ様の卓越された時代考査の御論文を拝読していると、ともすると一般論を軽視する誘惑に襲われますが、実は、メシヤ様はそうしたものに御眼を通されるなど御研究を重ねられ御批判されているのです。御啓示から御立教までの期間がそうした作業に要したものと拝察できます。
御教えを拝読すると、理解できたようになるものです。また、解って見ると簡単なもののようにも思えてくるのですが、それまで誰も説き明かさなかったことなのです。しかも、メシヤ様は御啓示を受けられても鵜呑みにされず、全て検証されたのです。実証できたものを私達に手渡してくださっているのです。
それに続く私達は、メシヤ様のご姿勢を神習って、学びを深め体系化を図らねばならないのです。その一つのヒントが、地上天国祭を前に濵口博幸さんが発見した「神風串呂」なのです。8月は各地でこの話題が出ました。
御経綸の深さというものを人間には全てを掌握できるものではありません。懸命に進んできた後を振り返ってみると“なるほど、そういう御意図なのか”ということを拝することができます。⑤の御教えにある『神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。』というお言葉の通りです。それにしましても、日枝神社の「天照皇大神様の御髪の毛」には感慨深いものがあります。
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