組織の変遷と御神業の進展
③ ――現在会員の会費の一部をもって積立金として積立て、将来会員のための福祉、例えば旅館のごとき宿泊設備、教会、農場、学校、治療所等々の建設を考えておりますが、大きな分会にはいろいろ福祉がありますが、私どもの分会はまだ小さく、従ってまだ見るべきものなく、会員に淋しい暗い気持ちを抱かせております。この点につきまして大先生のお導きをお願いいたしとう存じます。
『そういう問題は管長がやるべきです。渋井さんと相談してみなさい。経営はすべて本部管長がやることになっている。分会長もいるんだからみんなで相談してやったらよい。』
――先日も管長に会ってお話ししたところ、管長とは名ばかりで実際は五六七会の会長であるからそのほうのことをしていると言われてました。
『いままでは私がやってきた、で、その習慣が残っている。宗教の形を整えたうえは管長が全部やるべきです。が、そこまでまだ行ってないのです。もうしばらく自然の動きに任せておけば定まることは定まる。神様がやってられるんだから。私はこうすればよいと自分で考えても神様のお考えと違うことは始終ある。(御光話 S23年5月18日 御光話録・補)』
○渋井管長は五六七会の会長の仕事を重視しておられた様子です。なかなか世界救世(メシヤ)教になっても一つにまとまってはいなかったのですね。
********************************************************************
≪解説≫
「日本浄化療法普及会」の時代を経て昭和22年8月30日に宗教法人「日本観音教団」設立の運びとなり、この時メシヤ様は顧問となられ、主管に渋井総斎氏が推挙されたと記録にあります。②の御教えに出たニコルスという人物の尽力で設立が順調に進んだとされています。また、この時の地方組織は八分会だったようです。
その後、同23年10月30日に宗教法人「日本五六七教会」が設立されています。そして、ご承知のように宗教法人「世界救世(メシヤ)教」は、同25年2月4日に開教されています。わずか数年の間に立て続けに組織が変遷し、同時に目を瞠(みは)る御神業進展がなされたのです。
渋井総斎氏についてメシヤ様が触れられている内容が幾つかありますが、東山荘を求められた際のお話が私の心に残っています。というのは、治療時代から宗教活動へ移行する時期に、メシヤ様に対して金銭面で大いに献身したということからです。
メシヤ様が昭和19年に箱根の神山荘を求められた時は、当時の信奉者(病気の治った100~200人)が購入資金を出し合ったそうです。そして、熱海の東山荘を求められた際は、神山荘購入の二、三ヵ月後ということもあって大変御苦労されたそうで、次のようにお述べになっています。
『それ(東山荘購入)はとても駄目だから諦める他しょうがない、と言っているうちに、渋井さんに話したところ、一つできるだけやってみましょうと、それで三十万円くらいお金を持ってきたんです。とにかく、じゃ買う方針でやってみようとやっているうちに、だんだん集ってきて、それからそうとう足りなかったが、また渋井さんが足りない分を持ってきて、どうやら七十万の金ができて買えたんです。(御教え集11号・昭和27年6月25日)』
ひたすらメシヤ様の御神業推進にお尽くしする、という姿勢を髣髴とさせるものです。それ故に、メシヤ様の御神業を直向(ひたむ)きに支える姿勢を崩さず、立場を越えることがなかったからではないかと推察できます。それが、③に取り上げられた問答の背景にあると思われます。
このお話が出た昭和27年は、このように宗教活動に移行される時期の御苦労と信奉者の赤誠に触れられる一方、次のような事柄も述べられています。
『・・・それから昨年の事件について、一つ言いたいことは、どうして起こったかという事は、これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というと大げさだが、陰謀者があった。これがなかなか知恵があって、おまけに私は疥癬で、なんにもできなかった。それで任せきりであったために、その隙に乗じて教団乗っ取り策を講じて、それには私と渋井さんをまず追い出すということが一番の狙いであった。それで、当局を巧妙な手段で動かしたという事は、悪智恵という・・・・・凄いものがある。とうとう当局を動かして、その当局は、メシヤ教になった当時で、メシヤ教というのは大変怪しからんものだ。これを調べたら、何かあるに違いない。それにとうとう乗ってしまって、それでこいつを大袈裟にやってみようと、ああいった大袈裟にやったのです。』(御教え集12号・昭和27年7月25日)
このお話は背筋が寒くなるものです。絶大なる救いの力をお出しになる御存在を教団から追い出すということなのですから、想像を絶するものがあります。しかも、その陰謀に一部の弟子も乗ぜられてしまった訳ですから、メシヤ様の御心中は如何ばかりであったか、と思わされます。
この憂慮するお気持ちを持たれていたことは、次のお話でも拝察できます。
『・・・明主様はこうおっしゃったが、あれはこういう意味なんだ。こういう意味というのを自分で作ってしまうのです。それで間違うことがよくある。それでまた私の言った通りをやるということは、自分が値打ちがなかったり頭が悪かったりするように思うのです。ですから私の言った通りにやる人が少ないのです。私はいつも言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。・・・(御教え集12号・昭和27年8月6日)』
『私の言った通りにやる人が少ないのです。』というお言葉に深刻さがあります。現身の神様を目の当たりにしても、絶対の救済力を許されても、そうしたことが在り得るのです。
「世界救世(メシヤ)教」開教後の問題点を痛感させられるものであり、復興事業に深い示唆を与えていただける内容となりました。