メシヤ様、主神様について
⑤ ブログで
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メシヤ様は、「主神様」の御経綸を説かれて、そして、「主神様」からの御力だからこそ、絶対力を発揮するという事を、御教えの中で幾度も説かれている訳です。そこで、私達が最も大きい御祈りからすると、その御本体である「主神様」にお祈りを捧げることが不可欠であります。「主之大御神」様という御神名が最もふさわしいという境地に至った次第です。
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とありましたが、メシヤ様=主之大御神様との想いを持ち御教えを拝読させて頂くと、次から次へと御教えが見つかり驚いています。
『それから今世の中では天照大御神が一番尊い神様としてありますが、天照大御神がこの間出られて私のことを「主神様」と言ってましたが、「主神様がいよいよお出になってお慶び申し上げたい」と言って「これからせいぜい御守護をお願いしたい」ということを言われてましたが、これは本当のことです。これは神代史にある通り、天照大御神は伊邪諾、伊邪冊尊から生まれたとなってます。ですからつまり天照大御神は私の子になるわけです。(御教え集16号 昭和27年12月15日)』
この御教えですと、天照大御神様がメシヤ様を主神様と言っておられるのですから現身をお持ちの時はメシヤ様(メシヤ大御神様)であられ、御昇天なされて主之大御神様とお一つになられたのかもしれないと思いました。
さらに、メシヤ様という御尊称は生きておられる時の御尊称だと次の御教えで思わせていただけます。
――キリストも釈迦もメシヤも観音も人の姿の神にぞありける
との御歌を拝しますが、神様が人間のお姿にお生まれになる場合、神様はそのお方の本守護神になられるのでしょうか。それともそのお方にお懸りになって宿られるのでしょうか。
『これは本守護神になってるんですよ。だから「生き神」ですね。そう思えばいい。神様が懸る場合もありますが、こういうのは永続性がなくて、必要なことがすむとお帰りになってしまうんです。だから本当に神様がお生まれになったのとはわけが違うんです。(御光話 昭和24年5月13日) 』
そして、決定的なのは
『メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。』
という次の御教えです。
――そういたしますと、明主様を中心とする信仰は、救世観音を中心として崇めるということで解釈してよろしいのでございましょうか」
『いや、しかし観音という名前だと、まだ化身だから本当の力は出ないんです。神様が経綸するんだからね。今度の救世観音というのは、聖徳太子が救世観音になっているんです。今度はいよいよ時期が来て活動を始める。活動を始めるには、やはり自分が仏を作られたので、今度は仏を元の神様にしたり、こちらの――メシヤ教のために働かせたり、そういうことをやります。メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。(御講話 昭和27年5月1日 御垂示録9号) 』
『メシヤという神は国常立尊という審判の神様で、これは永久的のものでない。ある時を限られたお働きで、長い。
一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬとおおせられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけのことしか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。(御講話 未発表 昭和25年8月1日 速記録) 』
「メシヤという神」との表現ですが、永久的ではないと書かれています。経綸の主体は大弥勒の神 ?・・・ この「弥勒」も「五六七」ではありませんが、もしや善言讃詞の「彌勒」は大弥勒の神様のこと?神秘ですね。想いが尽きません。
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≪解説≫
⑤について―「『祈りの栞』に寄せて」の基になった御教え
⑤の御教えは、「『祈りの栞』に寄せて」の「四、主宰神」「五、教祖」に記述した内容の基になった御教えです。
自らの信仰姿勢を顧みるためにも、ジックリと拝読していただければ幸甚です。