信仰生活とは

楳木先生  これは、浄霊の原理をしっかりと学んで行けばわかる事なのですが、「曇り」というものが発生して、その「曇り」を浄霊によって浄めて行く事によって、健康を確保したり、精神的に、明るく、楽になって行くとか、問題が解決して行くという事を許されて行くのだけれども、その一番根っ子には「霊の曇り」があります。その「曇り」を浄めて、一旦元気になったり、問題が解決しても、また同じ「曇り」を発生させる様な生活をして行くと、元の木阿弥になって、浄霊をすれどもすれども「良くなったり悪くなったり」を繰り返す事になります。神様の御力によって問題が解決し、病気が良くなった後に、二度と同じ問題、同じ病気を起こさない為に、「霊の曇り」が発生しない様な生活をして行く様に指導する事、それが信仰指導で、その指導に沿って生活する事が、本当の信仰生活なのだという事を認識しておかなければなりません。

matsuki  生活、環境を改めないで、「浄霊すれば大丈夫」という間違った認識の下、「浄霊」を利用するのは神様に対して大変失礼な事の様に感じます。一見信仰的な様で、実は神様の力にぶらさがろうとしているだけとでも申しましょうか。

楳木先生  世界救世教の一番の問題点は、「浄霊」で大変な奇蹟を頂くのだけれども、その事によって生活が改まっていかない人が多いという事です。 だから、結局同じ事を繰り返して行ってしまう。これは御教え拝読が不足していることと指導力がない為に起きているのです。

matsuki  例えば、心臓が悪くなる原因の中に、「対立の意識」があるというお話を頂きまして、これは註・「メシヤ講座・浜松」参照)大変わかりやすかったです。二度と心臓を悪くしない為には、人を批判したり、対立軸に置いたりする「争い」の意識を改めなければなりません。私の場合は、肺が病気になる事が多いのですけど、この原因は、頭の使い過ぎか、肉体的過労であると教えて頂きました。であれば、浄霊で肺を治して頂いた後には、そういった生活環境を改めていかないと、何度も肺を患う事になり、結局問題解決には至りません。

楳木先生  御守護というものを捉えた時に、「浄霊をして良くなった」という事は第一段階の御守護です。第二段階の御守護は、その原因をつきつめて行って、原因がわかって、そして、その原因を改善して行って、素晴しい生活が出来るという事が、本当の御守護なのだと、そういう段階を踏んで行くという事をわかっておかなければなりませんし、各指導者が、そういう事をより認識出来る事が大切です。

matsuki  例えば、私は、以前仕事で無理をして、体調を崩し、入院しなければならない状況になった事があります。そして、医者ではどうにもならず、入院している意味がないので、自己申告により退院して、その後、たった40分の浄霊の奇蹟によって救われました。一生残ると言われていた右肺の影が綺麗に取れており、肺の専門医も「これはあり得ない事だ」と驚いていました。その後、仕事も変わり、一旦は健康になったのですけど、次の仕事でも、また労働条件が過酷になって行くと、同じ事を繰り返す可能性が出て来る訳です。

楳木先生  この話では、matsukiさんは、結局その会社を退社して次の環境に変わった訳ですけれど、当時の会社の管理者であれば、二度と同じ様な入院騒ぎが起きない様な環境を整えて行く責任があります。また、信仰生活の上でも、そういった指導が出来ない布教師は失格者と言えます。

matsuki  もし布教師の立場で、「浄霊すれば大丈夫ですよ」という指導しか出来なければ、一見信仰的な様で、結局それは信仰にぶら下がっているだけで、成り行き任せとしか考えられず、奇蹟に対して失礼だと思います。

楳木先生  最も解り易い事例としては、酒飲みが、お酒を飲み過ぎて、肝臓を悪くして入院する、そして、御浄霊を頂いて良くなった、そして、また同じ量の酒を飲むという生活です。それと何ら変わりはありません。

matsuki  本来であれば、酒を飲まなくなるか、酒の量を減らして適度な飲み方になるというのが自然の姿ですね。

楳木先生  そうして、身体を壊す程飲まない生活になった事が、本当の御守護で、病気が良くなった事は入口みたいなものです。生活が改善される。また、こうした御力は何処から来るのだろうか、と探求して御教え拝読に取り組む。そして、それを生活に実践してみる。そうしている内に人生観が変化してゆく。メシヤ教では、信徒の皆さんに毎朝『神格をいただく道』という御教えを拝読して頂いているのですが、メシヤ様が示された課題に取り組み、一つずつ身に付いてゆくのが実は本来の御守護なのです。

matsuki   「病貧争」をなくす為の取り組みが地上天国建設への取り組みであるのに、御神業の名の元に逆をやる組織の方が多いのです。無理をして病気になる、経済的に苦しくなる、そこで不平不満が噴出して争いが起こる。争いが起こると、お互いに相手側に対して「邪神」が憑いたなどという心ない発言をする。正しい理想を掲げている様で、一旦対立軸に立って正邪を立て分ける様な意識を持ってしまうと、組織として崩壊して行ってしまいます。どうも、組織の上の立場の方が、そういう発言をするケースが目立ちます。被害者は、何も知らない信者さんなのですけどね。

楳木先生  人に対して「邪神が憑いた」などという発言をする事は、物を突き詰めて考えていない、あるいは、真実を知らないが為に、噂や憶測でそういう発言をする人が多い訳ですから、そういう話には、絶対に相槌を打ったり、巻き込まれたりしない様に、心して取り組んで頂きたい。そして、浄霊により奇蹟を頂いたら、その曇りの原因を突き詰め、理解した上で取り除き、正しい信仰指導による、本来の信仰生活を送って頂きたいと思います。

 

平成21年9月メシヤ講座より

 

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