伊都能売神皇の御性格
皆さま、入仏記念式典おめでとうございます。今年で伊都能売観音様がこの地に御鎮まりになられてから75年になります。朝から大雪でどうなるかと思っていましたが、参拝する時には陽が射して明るくなり嬉しくなりました。
それから、祝詞を奏上し始めると(これは最近の支部のどこの月次祭でもそうなのですけれども)身体の内側から非常に熱くなってくるので、メシヤ様から存分に御光をいただいているような、そういう想いが込み上げてきます。そんな参拝が今日も許されて非常に良かったと思います。
伊都能売観音様の本来の御姿というのは伊都能売神皇ですので、ご参拝するたびに“どういう御存在であったのかな”ということを考えさせていただいております。取り分け今年の国際情勢を見ていますと、伊都能売神皇が出国された際に非常に関連するような出来事が起きております。
伊都能売神皇は、三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊が押し寄せて武力によって「統治権」を迫った時に、絶対平和主義を以て皇位を天照天皇にお譲りになって密かに日本を出国した訳ですね。そして、インドへ降って行かれて後に釈迦に仏教の基となる教えを説かれた、という御存在であります。伊都能売神皇が皇位をお譲りになられた天照天皇は『ある事情によって崩御なされた』とメシヤ様は御述べになられております。(この崩御の理由は、素盞嗚尊に因って毒殺された、ということを神界通信で知らされています。)
そのため皇位を天照皇后が継ぎ、琵琶湖より東側は天照皇后、西側は素盞嗚尊、という形で統治権を持った訳ですけれども、素盞嗚尊はその後も天照皇后に迫って、やがて日本全土を征服するという暴挙に出てしまいました。
それから数百年間、素盞嗚尊が統治しましたが、素盞嗚尊の特徴である、ある癖によって日本全土が乱れてしまいました。その乱れた際に隙をついて、以前から宮崎県の高千穂に潜んでいた瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御系統が一挙に東征したのです。尊は神武天皇の祖父を生んだとされています。
宮崎県の高千穂に潜んで素盞嗚尊の統治が乱れることを虎視眈々(こしたんたん)と睨(にら)んでいて、そして愈々(いよいよ)ここまで乱れたので、天孫系が日本を征服しても庶民からは文句が出ないだろう、ということで一挙に宮崎から出て日本全土を征服したということですね。これが皇紀紀元の神武天皇の即位へとなり連綿と今に至っているのです。
それ以後、この出雲系の神々と天孫系の神々によって日本は政権をずーっと維持してきました。一方、大和民族は陰に隠れてしまって、芸術面で時折才能を発揮するということで今日まで霊統を受け継いできました。
昨今の状勢からみると、いわゆる朝鮮半島の動き、中国漁船問題ということをきっかけにして中国が圧力を掛けてきている状況は、三千年前、二千六百年前とあまり変わらないような状況が今でも続いているように思います。
そこで、もう一度考えなければいけないことは、伊都能売神皇の御姿勢ということですね。伊都能売神皇の大きな特徴は絶対平和主義というものです。これを支えるものは何かというと『徳によって治世(ちせい)に取り組む』ということです。さてこの徳によって治めるということをメシヤ様の弟子である私達はどこまで求めて生きているのか、ということが課題です。あるいは物事をどう考えていっているのか、ということを伊都能売観音様の御前に身を置いた時に真っ先に考えなければならないことだと思います。(後掲の事後雑感を参照)
75年経った今日、伊都能売神皇の御性格をどのように受け止めて、そしてメシヤ様の御教えをどこまで自分のものとして、どのように体現しているか、ということをここにご参拝の皆様には顧みていただけると有り難く思います。