祝詞奏上について 参拝する時のイメージ作り
祭典で奏上する『天津祝詞』並びに『善言讃詞』についての学び、また、御神名を唱える姿勢の学びは、出雲、岡山両支部の発会式でお話した内容を参照していただきたいと思います。また、御神前に額ずく想念については、浜松、三重、枚方、岡山の各支部ホームページで紹介していただいていますが、三重支部の体験記が深く関連することから、「メシヤ講座・「メシヤ講座・三重(平成23年9月分)」から一部引用します。
(先生) 善言讃詞の中身は○○さんわかりましたか。今まで真面目に信仰して来たが故に聞くのですが、「みろくおおみかみ」と「おしえみおやぬしのかみ」と唱えて来たでしょう。天津祝詞を奏上すると、後半に『祓戸大神等 諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を天津神国津神八百萬の神等共に天の斑駒の耳振り立てて聞こし食せと 恐み恐みも白す』と出て来るでしょう。何故「 みろくおおみかみ」様に奏上しているのに『祓戸大神等』が出て来るのでしょうか。という疑問は起きたことは無いですか。 (質問者) 今起きました。(大笑い) (先生) 私は二十代の頃、そのような言葉にこだわるのでとても疑問でした。まあ、祝詞はこんなもんだ、と、大概の人は思いますが。 (質問者) そういうお役の神様をお使いになられるのでしょうか。 (先生) どういう感じで使われるのでしょう。『祓戸大神等 諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を 』でしょう。使うのであれば『祓戸大神等をもちて、諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を 』ではないでしょうか。 (質問者) 諸々の神様が三千年来の罪穢れをメシヤ様にお詫び申し上げるのではないのでしょうか。黄泉の国へ行った穢れも伊邪那岐命様には発生していますので、祓戸大神様をお使いになって祓うという・・・。 (先生) いい話だね。それも含めて、○○さんどうですか。 (質問者) (先生) 「後は御神体を迎えるだけ」となった4月4日に、御神前で、御浄霊をいただきに見えたある方と参拝をさせていただいている時に、御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。その時、感じたのは、六十段の神界のそのまた上段ではないのかということと、善言讃詞の中の一節『光明如来と現じ 応神弥勒と化し 救世主(メシヤ)と成らせ・・』で、まさしく我家にお迎えさせていただくのは、最高の御神体なのだと、強く強くわき上がる喜びに、胸に熱いものが込み上げてきました。 主神様が頂点におられてね。見えた段は霊界全部の段ではなくて天国界の段ね。 その前に皆様方は座って礼拝をするのです。 そうすると、 『祓戸大神等 諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を 』 と唱えると 祓戸大神様がサーッと出てきてね、祓うのです。それが皆、主神様の許可によって執り行われるのが、この月次祭なのだ、と、そういう気持ちでズーッと祝詞奏上を聞いていただけると有難いです。 そういうような気持ちを膨らませてこの御神前に額かなければ祝詞の意味がさっぱりわからないということです。 その形として主神様のこういう・・・主神様は半径150億光年の宇宙総てを主宰されておられるので、その主神様の地球をお救いになる部分だけがメシヤ様として正面に出て来られているのです。が、縦に(重ねて)御奉斎すると主神様が見えないので横に(御尊影を)御奉斎させていただいているのです。 それで御神業上必要なお金を運んでくださるのが大黒様です。大黒様は元々人間だったのですが、神格を得た人格神ですのでズーッと下のこの辺りです。この間にいろんな役割を担う神様とか氏神様の御神霊が我々の霊統に応じて整然と並ばれているのです。そして、月次祭を今か今かとお待ちしているのがこの御神前なのだということです。 その御神前に対してまず天津祝詞を奏上することによって、我々の日常の枉事罪穢をまず祓っていただいて、それから、メシヤ様がおつくりになった善言讃詞を奏上して、その善言讃詞によって天国が作られて行く形が詠みこまれているのを響かせて、そして、我々の霊界をズーッと天国に引き上げていただけるのがこの天津祝詞、善言讃詞なのだという意識を持って月次祭に来ていただきたい。 そういう尊い月次祭だから参拝を絶対欠かしてはいけない、そういうものなんだ、という意識を持って、毎月毎月意識を高めて支部へ足を運んでいただきたいと思います。(また、その際の服装も、自ずから在り様が定まってくるものなのです。) 善言讃詞の前に天津祝詞を奏上する。天津祝詞を奏上する時の御神前の姿ですね、それを今日を境にさらに意識作りをしていただきたい、と思います。 『文明の創造』を中心にしてズーッと学びを積み上げてきたからこそ、こういうお話をする事が出来たのです。 こういったお話を聞くと参拝する時に非常に緊張感が出てきますね。 (先生) さっきのね、○○さんのように言うのであれば、「主神様のおしえみおやぬしのかみ」と言えば主神様の教えを垂れる神様と言えるけどね、しかし、こんなややこしい言い方は必要ないから、もうメシヤ様という御存在になられたのですから。 もし、どうしても分けてお参りするなら『メシヤ大御神』と唱えるですね。もしくは、『主神啓示のおしえみおやぬしのかみ』となります。 主神様から御啓示をいただいて、そして、我々に教えを垂れる、と言わないと正確でありません。 しかし、もう主神様とメシヤ様は御一体であるし、大きさこそ違うけども同一神霊であられるのでね。だから主神様だけの御神名を唱えれば良いのです。 (先生) 言葉を練り、と言われた以上一番大切な参拝の言葉がおかしければ信仰自体どうにもならないでしょう。 「そう思って私は言っているのよ」と言うのと同じでね。 子供が「思っているのはこういうことだけど口を衝いて出ちゃったの」と言った時に「何馬鹿なことを言うの」と叱るでしょう。 だから我々の信仰姿勢も「言葉ではこう出ているけども、心はこうなんです」と言うことはね、神様からすればね、親と一緒だから、『何馬鹿なことを言っているんだ』ということになるからね。その点を一つ一つ正して行かないといけないということです。 まずは参拝する時のイメージ作りからきちんとしていただきたいと思います。 「出雲支部」発会式の時の話と、「岡山支部」発会式の時の話、それから今日の話で、大体月次祭の参拝の想念作りがより明確になったかと思います。 |
私達が月次祭へ臨む姿勢も含めて、日々、月々、向上を目指す上で参考にしていただきたい内容ですので、繰り返し確認していただくようにお願いいたします。