『利他行』『下座行』『手の力を抜く』のが修行

そして、我々が信仰していく上においての日々の修行ということを少し考えていきますと、自分たちの信仰は一体何かというと、御教えからするとメシヤ様は『修行というものはあまりない。強いていえば浄霊の時に手の力を抜くということが修行なんだ』というふうに仰(おっしゃ)っておられます

 御教えを拝読させていただくと、『挨拶をする』とか『嘘をつかない』とか『人に迷惑をかけない』とかいうお言葉がしょっちゅう出てきます。

 それから、一番大事なことは『利他愛』なんだということですので、これは人のことを先にするということは非常に修行的な部分がありますので、『利他行』に努めていただきたい。

 それからもう一つは、「稔(みのる)ほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな」という句を引用されて『下座行』に徹するべきだということを仰(おっしゃ)っておられます。

 我々はですね、メシヤ様の御教えを日々いただきながら、大変なことに日々気づいていて、そして大きな悟りを開いています。しかし、いまだにそういう立場にない人たちが大勢いらっしゃるわけです。

 それでは大変お気の毒でありますので、どこまでも『下座行』で接していくという姿勢を貫いていただきたいと思います。

 平成24年2月メシヤ講座より

 

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