メシヤ様の御姿に求める使命感
最後になりましたが、本日、御尊影を新たにさせていただきました。
そして、各支部各出張所は来年の2月、節分祭、立春祭以降に新たにさせていただきます。より一層手の修正が無くなった御尊影になりました。左目に光が当てられた状態の御在世中の御尊影であります。
メシヤ様の左手の甲が筋までクッキリ出ているお写真になりました。この写真を綺麗な状態に修正してしまったために世界救世(きゅうせい)教は可笑しくなっております。何故可笑しくなっているかと言いますと、実はメシヤ様の御尊影を拝する時の拝し方の問題であります。メシヤ様を拝する時、過去の教団は「耳が大きい。福耳である」と。これは「東方之光」という本に出ております。そして、メシヤという御存在になられた時に、手相が各指に全部一直線に伸びて行かれたと読んでいると思います。そのために、手の平側には重視しましたけども、手の甲側を重視していない訳です。
あるいは耳の形には重視したけども、なぜメシヤ様の耳がこれほど大きかったのか、ということには余り触れていない訳であります。
耳は『人の話を聞く』ということであります。そのためにメシヤ様の耳は大きかったのだ、というように捉えていかなければ、私達は人の話を上手に聞くことができるまでになれません。人を救うためには人の話をよく聞くことができなければ、人を救って行くことはできない訳です。家庭を円満にしていくためにも家族の話をよく聞かなければ、幾らこちらの思いを伝えたところで、天国になって行きませんので、「メシヤ様の耳は『人の話をよく聞きなさい』ということをメシヤ様御自らが形を持ってお示しになられている」というふうに受け止めて、“自分は人の話をよく聞いているか”“悩みを聞いているか”というように、いつも自分に課していかなければ、大勢の人を救って行くということが中々難しいということであります。
しかも、よく皆様方が困った時に、「どうぞメシヤ様教えてください」とお願いしますよね。「ご回答をください」とか、「何かを知らせてください」とかお願いします。神様と言いますのは、答えを教える時には人の口を使います。神様が御自ら降りて来られて語りかけるというのは特別な使命のある人しかありませんので、そういうことがない方には、人の口を使って聞こえてきます。ですから人の口にどこまで耳を傾けることができるかということが『神様の答えを得る方法』なのです。
メシヤ様の御尊影を拝した時には“人が喋っていることを自分がどこまで聞くことができるか”ということを課題にして、メシヤ様の御尊影を拝していただきたいと思います。
途中で話を切るようなことをしないように、どうしても繰り返し繰り返し話を聞かされますと「もうそれ聞いたから」と言いたくなりますけども、しかし、それを喋っているということは、心の中にまだまだ吐ききれないものがあるために繰り返し繰り返しお話しすることがありますので、そういうことを十分吸収する姿勢を持っていただきたいと思います。
次に手ですけども、手の甲があまりにも疥癬の跡が酷いので“写真に残すというのはどうか”という思いがあったのでしょうが、修正をしてしまいました。
しかし、この御手から私達が学ぶものは何かと言いますと、メシヤ様は人類を代表してあらゆる病気を体験されて、そして、病気を治す方法というものを私達に教えてくださった訳ですので、そういう立場にある御方は、いくら主神様と御一体であろうと人間としての肉体を持った時には、そういう苦労をしなければいけないということが使命上あるということであります。
ですから、私達の身にも同じような事が、使命のある人程ある訳でありますので、皆様方がメシヤ様の御手を拝した時に“私も使命のある限り、様々な苦労がある。その苦労はメシヤ様と同じように、あるいはメシヤ様に近づかせていただくための苦労であるので、精一杯その苦労を乗り越えて、メシヤ様の御手足として、お使いいただけるような、そういうところを目指して生活をさせていただこう”という想いを持っていただきたいと思います。
そういう意味でこの御尊影を本日新たにさせていただきましたので、宜しくお願いしたいと思います。そして、来年からは御神体などもより一層神様に真向かうために、形を整えて参りたいと思いますので、これも2月以降ということになっています。
そうしたことをはじめとして、平成26年度は、より私達の生活がメシヤ様に直結するように各支部、各出張所、各会場を通してお世話をさせていただこうと考えておりますので、ここに参集された方々はその先頭に立っていただいて日々の生活がメシヤ様に直結するような、そして、その繋がったものが太くなるような心を持って取り組んでいただければ大変有難いと思います。