御垂示録16号 ②神様のお許し
【昭和27年12月15日】
12月1日
自分御蔭をいただいていても信仰に入らないのがありますが、本人は信仰に入りたいのですが、邪魔があったりするのです。それはなにかと言うと、神様が許されないのです。
それからこういうことがよくあります。熱心な人があって、フッと来なくなったり、他のことをやってみたり、いろいろしますが、そうするとずいぶん馬鹿な奴だと思いますが、そうではないのです。神様が、お前は入れてやったが、汚いものがあるからもっと苦労しろというので、要するに資格がないというので神様がつまみ出されるのです。
そういう点は解釈の仕方が違うのです。だから入るということ、その人が入りたいから入っているのではなく、神様がお許しになるから入れるのです。そこは神様中心に考えると分かるのです。それから「あいつは邪魔する、酷い奴だ、ああいうのを神様はどうして生かしてある、許してあるのだろう」と言うが、それは神様になにかわけがあるのです。そのときはそうでも、いずれはなにかに使うのです。ですから要するに人間の判断というものは分からないものです。神様くらい深いものはありません。それはあべこべのようなことがよくあります。
【御講和篇6 P309】
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