『御講話(昭和二十五年八月一日)』

今日は恰度六十五日目である。今度は非常に苦しんだ。又非常に結構な事と両方あった。苦しんだ方は今法難手記として書いてゐるが、何れ出来上ったら印刷物として配布するか、適当な方法で皆さんに知らせる。今日は善い方を少しお話する。

五月八日に武装警官八十人で七ケ所家宅捜査した。重大な事件だといふので、考えてみると、救世教になってから三月と三日になる、私は散花結実と言った。

救世教の花が咲いたのが散る-颱風のようなものである。花は梅の花で、兄の花で、この花姫は二色あり、兄花姫と木花咲爺姫である。木の花は桜で、兄花は梅であり、木花咲爺姫は富士山上に祭られてをり、咲爺姫は桜で、観音-仏界のお働きであり、神界のお働きは兄花咲爺姫である。兄は梅の花といふのは一番先に咲く。その梅の花が散る事で、梅には種々の神秘がある。その花ビラは五ある。(井上、金、阿部、山本、道夫)になる。

最初四人引っぱられた時、私は少しおかしいと思ったが、その中、道夫が引っぱられ、これで合った。即ち

清水町メシヤ教  井上

東山荘            金

旭町            山本

天国会          阿部

小田原          渋井道夫

で、これでいいと思った。

諸子に遇えなくなってから六十五日になる。五月八日-散花結実した。

日本観音教団の時は二十二年八月に成り、次に二十三年十一月税問題が起り、税で打撃を受けたが、之で暴風に遇ったようなものである。そして之が観音教団の散花結実となった。

昭和十年大日本観音会を造り、初めて宗教の形になった。それが十一年八月警察へ引張られ、十一日間拘留され、宗教と治療をやってゐたのが禁止され、一年三ケ月浪人した。十二年十月両方といふ訳にゆかぬので宗教をやめ民間治療にした。それを三ケ年でやめ戦争になった。

廿五年二月五日救世教を創立、三月で散花結実した。今度は世界的に大きく来た。形がはっきり出た。神様はいろいろな型でみせられる。神秘である。

花の王は梅で、花の兄である。「三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結ぶ」とお筆先にある。大本は重要な役目をもって出た。国常立尊はメシヤであられ、閻魔大王であられる。「神は此世の閻魔と現はれるぞよ」ともある。教祖は稚姫君尊である。梅の花は五弁、五月八日暁の大捕物で、私の仕事の一番重要なる所五ケ所を襲った。

渋井のシブはシベで、メシベが散った。神は水も漏さぬ仕組をなされてゐる。花の咲くように救世教は行った。今度は実で、確実に、堅実に、気永く育つ形をとる。

仏教では実相真如といふが、本当は真如実相である。逆である。真如の月といふが、月は真の如しといふ事で、夜の世界、仮の世界、実相世界の実は太陽である。故に仏教は花になる。花祭りなどはそれから出てゐる。印度は月氏国といふ。仏教で仮の娑婆といったが、之は実の世界が出来るまでのものである。犯罪なるものは一つもない。一つの幻影によって描いたものである。

堀川といふのは国粋会の会長で、之はユスリ係にした。右翼の会長である-その為に何か抵抗してはといふので武装した。実に滑稽である。所が査べると、何にもなくて引込みがつかぬ為脱税でも何でもないが、一昨年の脱税問題を罪にしようとした。それで罪を拵えた。その為言葉の拷問をした。仕方なく罪を造ったのである。

然し之も神様が必要があってやられた。検察官を使はれた。彼等も自分でも変だと思ったに違いない。政治献金や浮貸を査べた。

今度は全く奴隷扱ひであった。「井上は頭が悪いんだから……」といふと、「イヤ、君よりズーッと頭がいい」といふ。実がなるには、花を咲かせなくてはならぬ。そして実が出来るには、散らなくてはならぬ。

梅は神、「三千世界一度に開く梅の花」一厘と九分九厘といふが、之は花の一輪にもなる。一厘の花が咲いて--。検察庁や国警八十人は颱風で、花を散らした。

十を十で百になり、九十九と一で百。十は経緯の霊体、渋井はシブの仕組。シブが散り棒ばかりになる。そして十が育つ、地味に育つのである。

月の教は夜の世界。法の華は法蓮華経で、観音普門品は二十五番目になる。法華経の髄が実になる。その型である。今度は実相世界になる。今迄は華の世界、それはいろんなものに表はれてゐる。花が散って実を結んだ。

(火-霊、病気で汚い物だけ処理する)

私は二十二日に出所し、渋井が入れ替りに入った。五弁が散り、シベ(渋井)が散った訳である。実になるべき髄は独立した形になり、これで私は出られた。私は昼に出、夜、渋井が入った。

 

神様は型でやられるんで、型をみると分る。外の人が見ても分らぬ。庵原(いはら)警察の留置場へ入ってゐる中、種々神様の方から、普通の所では出来ない-外界の障りのない所でなくては出来ぬ事があり種々な神様が出た。

私のお腹の中に光の玉があり、今迄中に心がなかった。その種が六月十五日留置場中で入った。その種が髄になる訳である。之は悉しくは言えぬ。大本教のお筆先の一輪の身魂で、種が育つに従ひ、光の玉は大きくなる。そして現界は昼間になるし、現界に大きな変化が起る。即ち大浄化が起る。今迄は霊界だけが昼間であった。すると穢れのある所は凡て浄まって行く。之がキリストの言った、世の終り、最後の審判-である。

種は或所から-天から降る訳である。それから十日経って朝から、大浄化が始まった。種は-人間でいえば赤ン坊である。十六日は何にも喰べられぬ。乳が飲みたくなり、牛乳を呑んだ。十四日の日、朝夢をみた。富士の山の上に御殿があり、そこへ上る。周りは夢にも、景色-雪のあるうちで、未だ寒い訳で、梅の咲く頃である。昔から一富士、二鷹、三茄子といい、斯んな良い夢はなく、明日は出られる事と思ったら、翌日「君出なさい」と言ふ。釈放されると思って外へ出ると見知らぬ警官が、今日は静岡へ行く-といふ、身の廻りのものを整え、自動車に乗せられ、喜んだのは逆で、刑務所の表の方へ着いた。手続を済して中へ入ると、新しく出来たアメリカの監獄のようで、之は長くゐても辛くないと思った。一輪の身魂が宿る-神様に聞くと、一旦日本の真中へ行かなくてはならぬと言はれた。刑務所は静岡の真中になる。

翌月十九日に出て一週間目に、朝鮮問題が起きた。結局大きな問題の序幕でザット話せば、

神様のお知らせによると、来年から本当の浄化が始まる。大体三年間で、世界的大掃除で原子戦争にもなる。正月よく話したが、それがボツボツ出て来たのである。原子戦争も善い世界を造る為で、大地を綺麗に、汚れなき世界を造る。原子爆弾は掃除の為に造られたのである。急には行かぬ。相当進んでからで、アメリカも本腰を入れたから、共産軍は敗退するが、行くか行かぬ中台湾が始まる。来月あたり始まるであらう。マッカーサーが行って蒋介石と語った。之は非常な意義がなくてはならぬ筈である。中共は殆んど台湾を攻める準備が出来たので、急にその準備をさせるべく、蒋介石と相談する為に行ったのである。朝鮮だけでも骨を折ってゐるのに、台湾に対する援助も大変である。ユーゴーではチトーの攻撃が始まるし、イラン、東西のドイツ等、世界は蜂の巣を突いたようになる。両方とも原子爆弾の戦争となる。原子爆弾は破壊である。ソ聯は細菌爆弾を随分用意してゐるが、日本としては一番危険である。共産軍が朝鮮へ進出するのも、目的は日本で、朝鮮は日本をやる為の途中の邪魔物にすぎぬ。之は伝統的にそうなってゐる。ソ聯は北海道を、浦塩から征めれば訳はない。南鮮からも横へ行けば北海道である。北海道には共産党が多い。日本は無防備である。アメリカは日本を守る等で苦しむ。

之も神の経綸であるから仕方がない。そのような形勢に向ひつつあるのであるから、覚悟をしなくてはならぬ。北海道をやられても日本を、米ソ何れかが奪らうとして、とり合いの形とならう。ヘタヘタにして引張る。すると強い方へ従はなくてはならない。でないと日本はひどい目に遭ふ。

根本は世界的大浄化で、大浄化は汚れたものを掃除するのであるから、汚れたものは危い意味になる。霊的に曇りの少ない人は救はれるので、出来るだけ曇りを少くする。それにはどうしても根本的信仰といふ事になる。そして人間全体が神に手を合す事となる。「世界の人民は一旦は顔が青くなるぞよ」とある。

大本教祖は随分懸った。話が面白いので退屈しなかった。キリスト、釈迦、弘法、親鸞、日蓮等憑った。之等は、弘法は極楽であるが、他は殆んど地獄であった。いろいろあって割合退屈しなかった。

メシヤといふ神は国常立尊といふ審判の神様で、之は永久的のものでない。或時を限られたお働きで、長い。

一厘の種はメシヤとは違ふ。神様のやられる事、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬと仰せられる。経綸の主体は大彌勒の神で、此神が経綸の中心である。キリストや釈迦も全然判らぬ。必要だけの事しか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思ふ人は判ったのである」と。

世界の種々な事は、根本の神から出てゐるので、人間が気を揉んだり、兎や角言ふのも馬鹿々々しい。最高の神の経綸は、善悪両方を造って操って居られるのが神である。今度は随分苦しんだが、怒っても仕方ない。神様が使って、立派な仕事が出来てゆく。たゞ悪魔は一時的で勝たぬ。今迄は神が勝つのが遅かった。今度は早くなって五六七の世になる。

これから三十分位づつお話するつもりで質疑応答は新聞雑誌に、救世は栄光とする。

六月十五日は、岩戸開きの日で……、差入屋の女将が踊りが好きで、二、三日前から一晩踊った。望月弁護士が、手力男命で、これが連れて来た。宇豆売命と手力男の型も出てゐる。五人は五伴男になる。

天照大神は女で、父君が伊都能売尊で、天照天皇の皇后で、天照皇后が天照大神である。天照天皇は或事情で葬むられた。その時伊都能売大神は日本を脱出せられ、印度へ渡られ、観自在となられた。印度の自在天の世を観てる事である。日蓮宗の曼陀羅にあるが、自在天は悪魔に騙され、最初は良かったが、インドは段々悪くなった。その邪神が大六天の魔王で、一名帝釈天といふ。帝釈天は邪神の顔をしてゐる。

支那は盤古神王の系統が統治してゐた。神農ともかく。漢方薬の絵によくある。日本は伊都能売大神であらせられた。盤古はよい系統だが、漢方薬を発見して、人間を助けようとした。故に漢方薬は非常に悪い。此奥に大変な邪神がゐる。此系統は邪神系にやられた。

猶太は未だ言えぬ。各国に邪神の表はれがあり、邪神の本元はサタン(赤い龍)で、大活躍してゐる。共産主義を作った邪神である。サタンの眷族は皆龍で、今龍は大変活躍してゐる。龍は東洋が多かったが、今は外国は赤龍が多い。今度の事件も赤龍が査べてゐる。それを神様が使ってゐる。今日本は狐が多い。狐と龍神が活躍してゐる。

法華経の二十五番目は実になる。今年は昭和廿五年は意味がある。実相世界になる訳である。大千三千世界といふ。

小さな型だが世界的になる。世界的散花結実になる。これこそキリストの世の終り最後の審判で、朝鮮問題はその第一歩である。キリストは世の終りといい、天国は近づけりといふが、恰度合ってゐる。

一切は浄化作用で、霊を浄める事が、助かる一番の根本である。

アメリカは三十八度線まで、北鮮へ押返すとしても、ソ聯は横へ、北海道へ行くかもしれぬ。スターリンを援助してゐる霊があり、スターリンの霊を招んだら、とても聞かなかった。毛沢東は割合聞いた。共産主義は或時期までやると言った。北海道を占領すると、アメリカを楽に占領出来る。北海道はアメリカの種である。ソ聯は潜行艇で北海を囲んでゐる。ドイツの敗因は、英国がレーダーを発見した事にあった。ソ聯ではレーダーを無効にする塗料の発明を成したのである。

先にヒットラーを壊し屋の親方と言ったが、スターリンは壊し屋の大親分として神様に使はれてゐる。吾々はゴミ溜の中から少しでも役に立ちそうなものを拾ひ上げる救ひの役を命じられたのであるから、一人でも多く救はなければならぬ訳である。

その外に非常に深い神秘がある。神秘は六月十五日にあった。

昼の世界は最初極最高の幽幻界に……。日は幽幻界、月は霊界、現界は土になる。

昭和六年六月十五日、霊界が日の出になり、二十五年六月十五日、現界が本当の日の出になった。五五、二十五といふ。五五は日出づるといふ事で、日の出といふ事になる。それから十日後の二十五日、朝鮮問題が起った。

人間の罪穢は病気等で掃除出来るが、建物を清められるには爆弾である。原子爆弾は神様が造られたのである。

地上天国、彌勒の世といふ立派な世を造るには地上を清めてからでなくてはならぬ。いえば簡単だが、実際には大変な事である。キリストは「世の終り来る。天国は近づけり」といったが、破壊と創造で、破壊の親玉がスターリンで、段々進むとアメリカも壊し屋になる。今度はどっちも横綱で、両方で噛み合ふのである。世界は二つの大きな塊となる。血みどろになって戦ふ。吾々は徐ろに建築屋になる。大浄化の根本は霊的で、今度は火の洗礼である。

原爆は五千度の熱が出るといふが、太陽は無限の火力で、機械で測れるものでない。水素爆弾はこれを借りるのである。

イエスは、万民を過らした罪の贖ひとして贖罪主となった。そして二百年後にヨーロッパへ拡がった。もし贖罪で罪が人類より消えるなれば、すでに天国になってゐなければならぬ筈である。

キリストはイエスより一千年前に生れたそれが再臨する訳である。キリストは救主で、罪の赦し主がメシヤで、日本でいふ国常立尊である。

長い間文化を発達さす為に種々の罪が溜るのは止むを得ぬ。建築するにも鉋屑や石粉が溜るようなものである。文化は善悪の摩擦で発展する。戦争で死物狂ひで勝って文化が発達した。戦争の為に文化が発達した。或程度発達すると、人類を滅ぼすべきものとなった。ここで戦争のない世界が出来る事は、常識で考えても判る。平和世界-地獄から天国に転換する。それには人間の魂の心底から目覚めさせなければならぬ。これが最後の審判であり、大破壊で、創造の第一歩が御聖業である。

天国建設は、どこかで誰かがやる。それを私が引受けた。病気を治すのは霊体両方の病気を治すのである。

戦争などは霊の病気であり、体の病気は、病気で、共産党などは一種の精神的病気で、それを自覚させなくてはならぬ。必要ではあるが真理ではない。善悪がなくては芝居にならぬ。

イエスは贖罪の為に生れた。私は救ひの為に生れたので犠牲精神ではない。

小乗的考えは全然間違ってはゐないが、或程度に限られたものである。大乗は決して間違いない。表面や上面を見て判断すると間違ふ、すべては世界的になった。故に大乗でなくてはいけない。

地方的、国家的のものは争いの元になる。最初から世界的考えでなくてはならぬ。凡ゆるものは世界的、大乗的になってゐる。国家的考えはすでに時代的ズレを生ずる。絶対権を持った天皇は続かぬ。』

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