参拝の仕方

楳木代表

そして、本日は初めてご参拝された方々もおられますので、参拝の仕方というのが今までの教団とは違う形式をとっておりますので、初めての方の為に説明しておきます。

メシヤ様御在世中の当初はメシヤ様御一方で祝詞を奏上されておられました。そして最後に祝詞が終わってからみんなで、「念被観音力(ねんぴかんのんりき)念被観音行(ねんぴかんのんぎょう)念被観音心(ねんぴかんのんしん)。」とお称えしていた訳です。ですから、メシヤ様の時代はそういう参拝の仕方をされていましたが、箱根が完成した時に“みんなで祝詞を奏上しよう”という方向にお弟子さんたちの声でそういう形に変更して来て、又同時にメシヤ様が神人合一の境地になられなられたことから御自身が神様への御参拝をなされなくなったという事も重なって、みんなで祝詞を奏上するようになりました。

しかし、正式な祝詞奏上というものは、この祝詞の文面を見ながら上げることを奏上という訳なのですね。そういう作法というのをなおざりにしてしまったということに対して、メシヤ様に私たちは少しでも近付きたい願いから信仰をする為に、こうしてその場所その場所の責任者が、あるいは時所位の一番上の者がメシヤ様を目指して祝詞を奏上して、そして、御神名をみんなで奉唱する形式の方が信仰の高まりを目指すことができるということから、メシヤ教ではそういう参拝の形式を採っております。

ですから、ご家庭に帰って御神体にお参りする時はそこの家長が祝詞奏上を一人でする、と。そして、その家の霊界を整える重大責任を以って臨むという、それ位の想念に高めて参拝するという事を志すためにメシヤ教の場合はこういう参拝形式をしております。その意図するところを受け留めて頂いて、昭和29年にメシヤ様が御浄化に入られて、最期の最後に『これからは想念が大事だ。』という風に仰ったその想念を高める為にこの参拝形式というのを一番基本に置いて、自分自身の想念が我が家の霊界を整えていくんだ、と、あるいはこういう支部の霊界を整えていくんだ、という思いを一層高めるということの為にも、この参拝形式を取り入れて頂ければ大変有難いと思います。

 

平成28年11月旧三重支部より

 

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