『文明の創造』 科学篇 病気とは何ぞや 感冒 (文創 昭和二十七年)

<今月の御教え>

『文明の創造』 科学篇 病気とは何ぞや 感冒 (文創 昭和二十七年)

【メシヤ講座 浜松支部】

二元論と三元論

楳木代表

まず1行目から。

『現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做(みな)して、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐(お)うてかいてみるが』というふうに書かれていますね。この『人体を単なる物質と見なして唯物療法を進歩させてきた医学』ということの、この現代医学の一番もとは何? ○○さん。

参加者

・・・

楳木代表

人体を単なる物質と見なしてきた出発の学者。二元論はどっから出た?

大学時代の基礎講座で習ったやろ? メシヤ講座でも何回か話しているけど。二元論の出発点。こう言うと思い出すかもしれんけど。頭に浮かんでこない?

参加者

はい。

楳木代表

これはデカルト以来だね。デカルトが出発点になっている。大体。で、そこから二元論でスタートしている。じゃあ、メシヤ教は何元論?

参加者

三元論?

楳木代表

三元論。大体、三元論と見ておけばいいね。だから普通の神社へ行くと拍手は2回だけど、メシヤ教は3回拍手をする。まあそういうことが、みんな繋がっているということですね。

で、メシヤ様が今回ご指摘されている『人体を単なる物質と見なして』という現代医療の出発点はそこからきているので、長い歴史に照らしてもメシヤ様は御指摘されているというふうに見ておかないと、とりわけ若い人達の頭の中が膨らんでいかないのでね。御教えは御教え、それからずーっと大学時代から習ってきたことは習ってきたこと、というふうに、別個に考えているといけないので、これがいつも繋がっていくような頭の思考形態を持っておかないといけないですね。そういう習慣を付けておいていただきたいと思います。

 

風邪とインフルエンザ

楳木代表

それでは、そこからさらに2、3行いくと

『寒冒の原因は医学では今以(もっ)て不明とされてをり』というふうに書かれていますね。

『近来僅か(わずか)に発見されたのが、ヴィールスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言はれてゐる位で、吾等からみれば問題とするには足りない稚説(ちせつ)である』という、この稚説ということを指摘する一番の理由は・・・。

例えば○○くんは、いつから始業式? 10日?

参加者

もう金曜日から始まりました。

楳木代表

あ、もう始まっているの。で、クラスは何人?

参加者

う~んとねぇ、26人。

楳木代表

26人で風邪は何人ひいいてる? 誰もひいてない?

参加者

ひとりぐらい。

楳木代表

じゃ、年末は風邪ひいていた? みんな。

参加者

うん。ひいている人もいた。

楳木代表

学級閉鎖もあった?

参加者

それは無かった

楳木代表

それは無かった。

じゃ、例えばクラスにね、風邪引ひいた子が入ってくるとうつるやろ。

その時全員にうつる? うつらないよね。これなぜうつる人とうつらない人がいるか?

参加者

う~んとねぇ、近くにいる人はうつるけど、近くにいない人はうつらない。

楳木代表

ブ~。はずれ。

そういう風にね、決まってない。咳している人のすぐ隣にいても、うつらない人はうつらないやろ。うつる人は離れていてもうつる。これ何で違うの?

参加者

知ら~ん。

楳木代表

知らないよね。知らないで当たり前なんだ。医者が説明してないから。

これをメシヤ様は『稚説』だと仰っているわけ。しかしメシヤ様はきちっと教えられている。

ここには書かれてないけども、要するに風邪はうつると言わないのだと。

風邪の浄化は誘発すると言われているのですね。

だから、浄化すべき毒素を持っている場合は風邪によって浄化をいただくけども、浄化すべき毒素を持ってない場合は風邪をひかないのだということ。この違いがメシヤ様の教えの非常に素晴らしいところで、医者はそういうことを説明してない。

それから、今年は、インフルエンザはどんなのが流行りそうだとかっていう説明は何か出ている? まだ出てないよね。

参加者

でも、Aが?

楳木代表

Aが多いと?

参加者

新聞に、その傾向ではないですけど、静岡県でも1医療機関当たりの人数が1人を超えたと書いてあったような気がするんですけど・・・。

楳木代表

じゃあ、毎年ね、そのインフルエンザの型はどうして違うの?

参加者

・・・

楳木代表

ね、こういうのを説明は聞いたことないでしょ?

インフルエンザの型は毎年なぜ違うかと。これ聞いたこと無いよね。

これだけ医療が進歩したと言っても、インフルエンザの型が毎年なぜ違うかということを厳密に説明できる学説は何も無いわけですね。たまたま発見したらどうもこういうのだと。それからもう一つは耐性菌の影響じゃないでしょうかというような言い方もするけどもなかなかない。

で、先週の水曜日の「カーネーション」見た人います? カーネーションが問題じゃなくて、カーネーションのすぐ後の「あさイチ」見た人いる?

参加者

・・・

楳木代表

そこでオーロラの話を毛利さんとかが出てきて。

 

参加者

途中までチラッと見ただけです。

楳木代表

じゃあ、オーロラの説明聞いたやろ? オーロラは人工衛星から見ると、どういうふうに見えるかっていうこと。

 

楳木代表

地上から見るとカーテンみたいに見えるわね。で、人工衛星から見るとどういうふうに見えるかっていうのを、誰か聞いた人いないですか?

参加者

丸く見えるって言わなかったかしら?

楳木代表

お~、よく覚えているじゃん。丸く見える。ね、円形に見える。

なぜ、円形に見える? この説明が一番大事。人工衛星から見ると、なぜオーロラは円に見えるか。何て言ったっけ? 何か思い出して、少し。

どうしてオーロラは起きるかっていうのを説明していたでしょ?

太陽から太陽風がきて、そして、それが磁場によって分かれるけども、地球の北と南があったときに、磁力がこういうふうに働いているっていうのは知っていますよね?(図解しながら)

リンゴのようにこういうふうに北と南と磁力がこう出ていると。そのため、太陽から太陽風がきて、太陽風というのは、この磁場によってフワッと分かれて、そして彼方へ飛んでいくので、危険な物質は地球には到達しないということは、まあ皆さんおぼろげながらでも聞いていますよね?で、その中には様々なものがきているわけですね。で、電子がきているけれども、このように地球の北と南だけは磁場がこういうふうになっているので、太陽風がきてこういうふうにフワッと分かれるんだけども、なかにはこう入ってくるのがあるわけね。磁場の出るところにこう入ってくるのがある。これが入ってくるので北極と南極しか見えないわけね。寒いから見えるんじゃないわけ。北極と南極だけ、太陽からきた電子がスーッと入ってこられるから、そこで大気圏に入ってくる時に衝突してああいうふうにみえるわけね。だから上から見ると、ちょうど、北極の上と南極の上はこういうふうに円形にそういうのが見えるわけ。こういう磁場との衝突なわけですね。

で、なぜこんなことを言うかというと、太陽と地球の関係の一部分としてそういうことを知っておかないといけないのと、ある学説によると、インフルエンザの型は太陽の黒点から出ているという学説を唱えている人もいます。

それは、じゃあ太陽の黒点とは一体何かっていうと、主神様の代表が黒点だというふうにメシヤ様はおっしゃっているので、毎年毎年、今年はこの型によって人体を浄化させるという御神意があるということが考えられるということですね。

だから、一年のうちインフルエンザにかからなかった人は、その浄化作用を受ける必要のなかった人だということ。しかし、インフルエンザにかかった場合には、今年は、この主神様の御計画の上で浄化を頂かなければいけなかった人だというふうに、解釈することができます。

これは御教えにはない内容です。しかし、それは辻褄(つじつま)がよく合っているので、おおよそ私達が風邪をひいたりインフルエンザにかかったりするというのは、主神様の浄化作用の計画の中に身を置いたときに起きる浄化作用だと考えることができるわけなのです。そういうことを考えることができると、風邪をひくというのは非常にありがたい。かかっているときにはうるさいけれども「なんでこんなに長引くのだろう」とかなるけれど、非常にありがたいことだという点をこのところから少し覚えておいていただきたいと思います。

 

働いている人の浄霊

楳木代表

では今読んだとこからさらに4、5行下にいきますと、『そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(その)場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである』というふうに書かれておりますね。そうするとこの『毒素が集溜する場所』というところと、それから『神経を使ふ処程多く集まる』というふうにしたときに、例えば、○○さんの場合はご主人の毎日“どこを浄霊してやらないといけないか”っていうことは、ここを拝読しながら決めていくとうことですね。ご主人の仕事は何だったかね。

参加者

自動車部品の製造です。

楳木代表

部品の製造のどの部分を担っているわけ?

参加者

事務系と現場と両方です。

楳木代表

両方やっているわけ? 事務をやる場合もあるし、それから現場に出る場合もあると。そんな器用なことやっているの?

参加者

器用じゃないですけど、中間管理職ですかね。なのでみんなのいろんなものの採点をしたり現場に出て様子を見たり。

楳木代表

そうすると、その日の仕事がいつもコロコロ変わっているっていうことだよね。

参加者

あんまり詳しく聞いたこと無いのですが。

楳木代表

それ詳しく聞かないといけない。これから。

この部分を拝読したからには自分の主人の部署、それから仕事の内容というのをよく聞いておかないと。毒素が集溜する場所がその仕事の内容によって変わるっていうことです。一番神経を使うところ、事務の場合はおおよそ目と、それから電卓を打つかパソコンをやるかということによって、指先の何処を使うかっていうのが決まってくるので。

そうすると、おおよそ事務の場合は目をしっかり使うということであると、目から入ってくる刺激がこの後ろ頭に毒素が集溜しやすいとうことと、指先を使うと肩に毒素が集溜しやすいので「今日のあなたの仕事は何だったの?」っていうふうに聞いて、事務の場合はそこを重点的に夜に浄霊してあげとかないといけないわけです。

現場に出た時にその自動車部品の製造過程のどこを見たかということと、みんなの動いているところに気配りしたり、あるいは機械の動き方を調整したりするのか、そういうところまで聞くと頭のどこを使ったか、まあ目は当然使っていると思うんだけれど、それとどういうものを自分の身体の中で一番使っているかっていうと、神経の使い場所によって毒素の集溜する場所が変わってくるので、その毒素が集溜したところをよく浄霊してあげとかないと、浄霊をしたことにはなりません。だからいつも、家に帰ってきたら、「おかえりなさい。今日のお仕事はどういうことをやったの?」と必ず聞いて、コミュニケーションをきちんととっておかないと、浄霊する場所が違ったところを浄霊しているということになってしまうので、コミュニケーションをよくとっておかないと。□□さんの場合は自分で働いて帰ってきているわけだから、自分の仕事をやった内容を見て自己浄霊するのと、ご主人に「浄霊ここして」ってお願いする場所が、自分で判断をしてお願いしないといけないということになってくるからね。

そういう点においては、この文章はメシヤ様が大雑把に書かれているようだけれども、これを自分の生活に当てはめていく、自分の家庭に当てはめていって拝読するという習慣を付けておかないと、御守護にあふれる生活ということに繋がっていかないということですね。そういう見方をしといていただきたいと思います。

 

人間本来の使命

楳木代表

それでは次にですね、皆さんは何ページかわかりませんが、2ページ目にいきますと『固結の為(ため)、血行が悪くなり、肩や頸(くび)が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩』そういうのが出ているところがあります。

その次にですね、『浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、それが為(ため)人間本来の使命が行はれない事になる。それで造物主は病気といふ結構な、浄化作用を作られたのである。』ということですので『それが為(ため)人間本来の使命が行はれない』というところに大きくチェックをしておいて下さい。

造物主、主神様は、人間本来の使命が遂行される為にこの浄化作用を作ったんだということですね。

毒素が集溜して身体のいろんなところに症状が出てきたりすると人間本来の使命が遂行させられないので、人間本来の使命が行われる為に浄化作用を起こしたということですので、この『人間本来の使命』というところを、もうね、もう真っ赤に塗りつぶしておいて頂きたいと思います。

だから、主神様の御目的というのは、そこにね『祈りの栞に寄せて』 があるでしょ。それ、ちょっと後ろから3ページ目開けて。御教えが出ているでしょ。で、そこに『人間とは』 というのがあるでしょ。『人間とは』というのをちょっと読んでみて。

参加者

『人間とは』を声に出して拝読

『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

楳木代表

ここを拝読した時にはこの御教えに繋げて、そして拝読していかないといけない。そして、無病息災愉快に働けるためにこういう浄化作用があるのだと。

しかも、この浄化作用で自分の身体が美しくなればなるほど・・・。今の拝読の後半のところに何て書いてあった?

参加者

『そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

楳木代表

ということが実現していくっていうことですね。だから浄化なしにはこれが実現していかないっていうこと。そういうふうにくっつけて拝読をしていただきたいと思います。

そうすると、そのことが段々段々積み重なっていくと、因縁使命ということが自覚できるということです。だから言葉で因縁使命、因縁使命というのを何回も聞いてきても、この繋がりで構築されていかないと、自分自身の因縁使命を悟るということに繋がっていかないということです。ひとつそういうふうに、ここのところは拝読していただきたいと思います。

 

浄化作用は神の恩恵中最大のものである

楳木代表

で、そのすぐ後ろに

『右の如く、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用』病気は浄血作用なのだと。『健康上最も必要なもの』 なのだと。『神の恩恵中最大なものといふべきである』

と。

これね3つ出てきています。

『浄血作用』というのと『健康上最も必要なもの』『神の恩恵中最大なもの』。

だから、こうやって月次祭にお参りにきたときに、神様に色々皆さん御祈願したりしてお参りするでしょ。で、神様の方は恩恵を下さる。しかし、その恩恵の中で、神の恩恵中最大のものとおっしゃっているので、このところがわからないとメシヤ様の教えというのは理解したことにならない。恩恵中最大のものがこの浄化作用なのだということです。そして、しかも、だからこそ健康上最も必要なものであるのだ、と。それはどういうことかっていうと、浄血作用だからなのだ、と。ま、これをですね、この非常に短い文章だけれども、ここは非常に我々の信仰生活、メシヤ様から力を頂いていく信仰においては最も大事なことだということで、3つとも大きく印を付けておいていただきたいと思います。

 

浄霊によって溶けた毒素は筋肉も骨も透過してしまう

楳木代表

それから、今のところからさらに8行くらい読んでいきますと『自然は固結毒素の排除を容易ならしめんが為(ため)、熱で溶解させ液体化させる。此(この)液毒は速(すみや)かに肺に侵入するが、此(この)作用は実に神秘であって、例へば吾等が浄霊(之は療病法の名称)によって、固結毒素を溶解するや、間髪を入れず肺臓内に侵入する。其(その)場合筋肉でも骨でも透過して了(しま)ふのである。』ここがまた大事なところです。

筋肉でも骨でも透過してしまう。溶けた毒素というのは、浄霊をした場合には筋肉でも骨でも透過してしまうということですね。だから、急所ということとは別に、浄霊をいただくと、そこの溶解した毒素がスッと筋肉や骨を透過して、胃に入った場合はもどすということ。腸に入った場合は下痢で出てくるということですね。肺に入った場合は咳が出てくる。で、痰で出てくる。この出方はその人その人によって、その時によって違うので、出方は異なるのだけれども、この場合浄霊を頂くと骨でも筋肉でも透過してしまうというところが『実に神秘』だというふうにメシヤ様はおっしゃっていますので、浄霊をいただきながら、そうしたことを一つ一つ感じながら、悟っていっていただきたいと思います。普通は物が通過するときには、細胞と細胞の細胞壁の浸透圧によってずっと伝わっていきます。しかし浄霊をいただいたときの溶けた毒素の浸透のしかたは、そういうものを超えていくのだと。だから瞬間に御守護をいただいていけるのだということですね。ここが非常に神秘中の神秘ですので、ここのところもチェックしておいていただきたいと思います。

 

自然な流れと合理的

楳木代表

それでは今線を引いたところから12,3行ほどずっと拝読していきますと『此(この)様に浄化作用なるものは最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』というところに線を引いて、『最も自然に合理的に行われるもので』と書かれています。

これが浄化作用の起こり方です。自然にということは、さっき○○くんに話したように、風邪が引いた人が一人クラスにいると、自然な形で毒素を溶解しなくてはいけない人に風邪がうつっていくと。しかもその毒素に応じて合理的にうつっていくのだと。この『自然な流れ』というのと『合理的』にというところをよく印を付けておいて、これをいろいろなところに当てはめていきますと、「私は今こういうことを考えていますが、そういうことをやっていくべきでしょうか」というように質問されることがよくあります。

例えば若い子が職を変えたいときに、「私は今、仕事のこういうところに限界がきているので、職を変えたいと思いますが、どうでしょうか?」とたずねられたときには、それが自然な流れになっているかということが、回答の一つの目安になっていきます。それから変えることが合理的、合理的というのはつじつまが合っているかということになりますが、つじつまが合っていればOKなのです。だから自然な流れということと合理的というところがいつも判断の基準になっておかなければいけないのです。

だから私がいろいろと電話がかかってきたりするときに答えなかったりするときには、まだこの自然な流れと合理性というのがわからないのかと思ったときには答えない場合があるのですね。笑った人は理由がよくわかったと思うのだけれどね。だからいつも自然な流れだろうか、つじつまが合っているのだろうかということを自分が生きていくうえにおいては大事にしておいていただきたいと思います。これが、主神様に日々祈りを捧げている人間の判断の基準になっていかないといけないということです。あるいはメシヤ様の御教えを拝読していく人間は、そういうことをいつも判断の基準に持っておいていただきたいということです。それから問題を解決するときにも、その解決の答えというものが、自然な流れでこういう答えに到達するということと、理屈が合っているということ。これはメシヤ様の御教えでも『神様といえども理屈が合わなければどうにもなりませんよ』とおっしゃっています。理屈が合わなければだめなのです。

【平成24年1月メシヤ講座 浜松支部より】

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