御垂示録4号 ②安心立命について

(お伺い)

信仰の極致は安心立命の極致と思いますが、人の操縦術の。

 

操縦術じゃない。そう考えると、それは技術になりますからね。小慧しい技術になるからね。そうじゃなく、自然です。

 

(お伺い)

その応身ということで、信仰が最高で、それから安心立命の極致が。

 

そうですね。安心立命とはちょっと違います。と言うのは、そういった応身の働きによって、多くの人を助けて、神様のお役に立つというと、自分が持っている罪穢れが消えていく。なくなってしまって、自分が浄化されなくなる、いろんな災難・・・苦しみというのはなくなっていく。そうなって、はじめて安心立命になる。神様にお任せするということになる。いきなり安心立命というのは難しい。それだけ、その人が浄まらなければならない。しかし、そこまで本当に解って信じられれば、安心立命を得ているんです。どんなことがあっても、びくともしなければね。少しくらい悪くても、これは浄化で、これで毒が減っていくんだからということになる。だから、メシヤ教に入れば、だいたいは安心立命を得ている。ただ、あまり浄化が強いので、中には迷うのもあるが、どうして自分はこうだろうと思う人もあるが、これは人間としてやむを得ないですね。その根底さえ分かっていれば、その苦しみを楽に通過しますからね。だから、私なんか、去年警察でいじめられたときは、実際神様はこうまでしなくても良いじゃないかと、こう思いますよ。しかし、自分は重大使命を持っているから、ふつうの人より苦しむのはしかたがない、という一方の考えもある。

 

【御講話篇4 P304】

 

 

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