真文明とはなにか
昭和二六年五月二二日
審判ということは夜昼を分けるのです。いらないものは、まずしまうか、あるいは毀してしまう、これから明るいものをだんだん造っていくと、こういう具合です。そうすると、いまの、霊界が明るくなるとどういうことになるかと言うと、人間にですね、人間というものはやはり体と霊とその間に空気に相応すべき水分というものがある。水蒸気ですね。これが人間の体に非常にある。そういう三段階になっているうちの人間の霊ですね。魂と言ってもいい、それが霊界に属している。霊界が明るくなると、それの明るさに相応しない魂の人は、どうしてもその相応するように、その曇りを取られるのです。取られると言って、なにか故意に取るわけではなくて、自然に浄化すべき、汚いものを、きれいに替えなければならない。そうすると魂の汚い人は、霊界が明るくなるにつれて掃除をされる、それが、ま、苦しみです。で、病気の原理もそういうことに説いてあります。それでやると病気というものはよく分かるのです。いままでは霊ということを知らなかった。無視していた。さっき徳川さんの言われたように魂です。魂というものの働きというものは、大きなものです。たいへんなものです。私は、昨日、一年ぶりくらいで来た人がある。ところが一年ぶりくらいで、一昨日その人のことをひょっと頭に浮かんで、ああいまどうしているのだろうと思ったのが、昨日来たので「ああ霊が先に来てるんだな」とこう思った。と言うのはこっちで・・・、徳川さんが松並という人が、一生懸命に書いているというのを思っていると、その想念というものは向こうに行くのです。行って、その人の体に入り、頭に留まり・・・すると、ふっと浮かぶんです。逢おうと言って、来るようなものです。要するに霊線と言って、そういう場合に交通するんです。これは、この霊線の働きなどということを恋愛問題になんか解釈すると非常におもしろいんです。けれどいま恋愛問題の目的じゃないですから・・・これは信仰に入ったらそういうことも分かってくる。そうすると、その恋愛というものは非常に良いものなんですけれども、あれはその、ただ、悲劇に終わる。また、どういうものだと知るには、霊的のこと、霊線のことを知ると一番よく分かる。これは馬鹿にはできないのですね。いろんな世の中の、問題やなにかに、問題の上に女があるなんて言う・・・いやな事件の裏には必ず女ありと言いますけど、・・・まぁ、あれはつまり恋愛ですね。そういうことが分かると、大いにそういう悲劇や社会悪なんかがなくなるんだと・・・。ま、それはそれだけにしておいて。いま言ったような具合に、霊です。霊の曇りを明るさに相応するようになるときに、病気くらいですめばいいけれども、そうでなくてもっと強くすると、もう病気なんかに堪えられないで、その人は死んでしまう。病気というものも、少しずつ来るから病気で、あれでいいのですがね。あれで一遍に来たら倒れてしまう。最後の審判というのはそれなんです。そこでだんだんだんだんこの霊界が明るくなるにつれて、そして一遍にやられることになると、そのために命を失うことになる。それが大量になる。大量になってはかわいそうだからというので、そのことを知らせる、と。知らせて助けなければならないというのが、神様の御意志である。で、私は神様に、それを命ぜられた。そして、こうしてお知らせするわけなんです。そうしておいて、私はですね、つまり釈迦とか、キリストとかいう人が、「天国は近づけり」と、いまにいい世の中が来るという予言をされた・・・予言をされたそれをですね、キリストや釈迦は預言者で、私は実行者なんだ、それを実行する、と。本当にその世界をして、病貧争絶無の地上天国を造ると、・・・造れということを神様から命ぜられたのです。
その代わり私が作るのではないから、決して骨が折れることはない。万事神様がお膳立てしますから。ただ、形に表れたものだけをやればいい。これは、非常な楽なもんです。しかし楽だと言っても、責任は重いんです。まぁ、おそらく人類肇って以来、私くらい大きな責任を負わされたものはないでしょう。そうするとそれによって、偉い人たちの予言が合ってくるんです。ですから私のほうで言うには、もしキリストや釈迦の言った予言が、実際実現性がないとしたら、予言ではなくて虚言だと言うのです。いわゆる虚言とは嘘つきです。あんなに偉い人が嘘をつくというはずがないんだから、いずれはだれかが、実現されるものが出なければならんというような意味で、それで、その担当者として私が選ばれた、というわけなんです。私はこういうことを、こんな大きなことを言うってことは、実際つらいのです。あんまり大それたことのようで言いにくいものですから、いままで言わなかったんです。しかしだんだんだんだんいま言う夜から昼間になる時代が迫ってきます。それで、人を救うには早く大勢の人に、それを耳に入れなければいかんというわけで、今日初めて大勢の方の前でしゃべるのです。
【御講話篇4 P14】