六、現幽の利徳とは

六、現幽の利徳

既存宗教に於ては現幽両全の利益あるものは無いのである。その多くは未来の利益を標榜して居る。彼の仏教信者が如来を信じて、未来の浄土を目標とする結果、現世利益を軽視して居る事や、基督教信者が天国を夢みて、現世に於ける苦悩をどうすることも出来得ないから、それに甘んずる哀れな実状や、天理教などの信者が病貧に喘ぎながら、当にもならぬ甘露台の世の幻影を描きつつ、滅び行く惨状等に見ても、夫等の宗教が現世利益の無い事を証拠立てゝ居るのである。唯纔かに天狗稲荷等の低級信仰に、現世利益が多少あるばかりではあるが、是等は淫祠邪教の類であるから問題にはならない。唯是等の中に在って、昔から観音信仰のみが、現世利益の有ると云うことは、普く世人の知って居る所である。しかしながら観音信仰が未来の利益も併せ得らるゝと云う事を、世間は未だ知らないようである。仏者によっては未来の救いは阿弥陀で、現世の救が観音であるとして居る者が多いのであるが、是等は真相が判って居ないからである。勿論未来は阿弥陀であることには間違いはないが、観音は現世及び未来即ち現幽両界の救である。之が自由無碍なる所以で、其言葉がそれを表わして居るのである。恰度譬えて云えば、番頭は番頭だけの権能より無いが、主人は主人であって番頭の権能をも有して居ると同じ理である。否観世音菩薩こそは、神幽現の三位一体の顕現と力とを具有し給うのである。比の故を以て、顕幽両全の利益ある信仰は、独り観音信仰のみであって、他には絶対に無い事を知らねばならないのである。

 

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