七、天国的生活とは

七、天国的生活

世間の凡ゆる宗教は、即神即仏とか娑婆即寂光浄土とか、地上天国とか、甘露台の世とか云って居る。是等は多く未来の理想世界であるとし、現在としての苦悩はどうしようも無いと、唯忍苦、諦めのみに努力して居る。其結果終には苦悩を楽しむのが、信仰ら徹して居ると云うようにさえなって了ったのである。それは苦悩を排撃する事が出来ないので、苦悩に負けるのを満足するのであり、苦悩を肯定する事であり、終に苦悩を常態観とさえするに到ったので、謂わば苦悩の奴隷になって了ったと云うのが実際である。恰度病気を駆遂する事が出来ないから、せめて養生だけで現状維持の儘、一日でも長く生きようとする現代医学の如うなものである。是等は大いなる宗教的錯覚であって、真の宗教が生まれなかった為である。真の意味から云えば苦悩を排撃する事である。不幸を否定する事で、否解消する事であらねばならぬ。之に依ってのみ地上天国も、理想世界も出現するのである。此の意味に於て私が常に称える、病貧争絶無の世界と云うのは、之を指示したものである。しかし人類は何千年もの間、苦悩の世界が続いたが為め、光明世界となどゝ云うと絶対実現し得ない痴人の夢の如くに想うのも無理はないのである。しかしながら光明世界を建設せんとするには、天降り的に又は劇の暗転式に突如として成立つのではない。一歩々々築き上げて往くのである。それが万物化育の法則であるから、此の法則を外しては成立し得ないのである。そうして一歩々々築き上げて往くと云う事は、先ず我々自身が否我々の家庭から一歩ずつ築き上げて往かなければならない事である。しかし今日迄の宗教は如何に熱心にすると雖も病貧争を絶無ならしむる事は絶対不可能で、それはその神仏の力の欠除の然らしめたところである。故にそれ等信者なるものは、常に苦悩に甘んじながら、漫然と理想生活を夢みつゝ次々に死んで行くのであって、その幻影の実現が余りに遅延するに依る幾度とない失望は、誰しも喫しつつあるのである。

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