御教え集27号 ④支部長が先に立ってやるよりか、部下や信者に出来るだけやらせるようにしたほうがよい

霊体を説明するには掌が一番よいです。手の平はいろんな役をし手の甲はあんまり役をしません。手の平は体のほうです。ですから霊というのは目で見てはあんまり動いてないのです。その代わり主にはなってます。人間の体で言えば、背中は霊です。それで背中のほうに病原があるということは、背中のほうが因だからです。だから本当に仕事の急所をやる人ほど動きません。下のほうのことをやる人ほど動くのです。ところが霊を知らないで体だけで見るから、そこで労働者がいばり、労働者が肝腎だということを言い出し、それが共産主義です。ですから共産主義というのは、霊を認めなければ共産主義の理屈は本当です。それはうまくできてます。ところが霊を認めれば共産主義というのは、屁のカッパみたいなものです。ですからよく前から共産主義について私に意見を聞く人がありますが、あんなものはなんでもない、いまになくなってしまうと言ってました。それは体だけであって、主なる霊ということを無視しているために永久性がないから、共産主義というのは長く続くものではないといっても、外れません。そういうわけで働いているのが目に見えない者ほど、かえって大きな働きをしているわけです。だから主人公や首脳者というものは動いてはいけないということを、私は前から言っているのはそういうわけです。よく、明主様は地方のほうにはお出かけになりませんか、と言われますが、それには車の心棒の譬えで、心棒は動いてはいけないというのですが、それで分かるはずです。そういうようで、よく先に立ってやらなければいけない、つまり首脳者とか長という人が先に立って采配を振れということを言いますが、それは嘘なのです。昔から、戦争で大将などが先に立って采配を振ったらきっと負けます。やっぱり大将は幕の内に引っ込んで、姿を見せないというやり方のほうが勝ちます。それはやっぱり霊主体従の法則に合っているからです。東条首脳が戦争のときに南洋まで飛行機に乗って行きましたが、そのとき私は、これは駄目と言ったのです。首相が官邸にいて碁でも打っているようなら勝つが、ああいうようではきっと駄目と言ったのです。それから話は違うが、あの時代の実業界で社会にそうとう有名になった、浅野セメントを作った浅野総一郎という人がいましたが、この人は朝早くから起きて、ほうぼうを駆けまわっているのです。それで一時パッとゆきましたが駄目になりました。そういうことも、私は不思議だなと思っていましたが、霊主体従の法則を知ってから、なるほどと思いました。そういうように、目に見えて働いたり動くことを良いと思うことは逆なのです。だから教団の支部などでも、支部長があんまり先に立ってやるよりか、部下とか、あるいは新しい信者といった人にできるだけやらせるというようにしたほうがよいです。戦争が始まったころに陣頭指揮ということを言いましたが、軍部は軍零会社の社長が陣頭指揮をやらなければ駄目だ、引っ込んでいては駄目だと言ってましたが、陣頭指揮をやるようでは駄目です。もっとも昔時は戦争のときには、山賊などは親分がやらないと子分が動かないからやったのですが、そうでなく平和的のことをやるには、いま言った法則を守らなければいけないわけです。だからただ活動する、あせったりいろいろする、ということがよいわけではなく、やはり自分の地位と境遇に準じて理屈にあったやり方でなければいけないのです。だから骨折ってうまくゆかないということがよく世間にありますが、そういう点をよく見ると分かるわけです。昔からよく言いますが、あんなに働くのにどうして年中貧乏しているのだろう、またあの人は年中ブラブラしているのに割合に懐が温かいと言うが、そのことを知ればよく分かります。そうかといって怠けるのと、いま言う霊的働きとは、外観はちょっと同じように見えるので間違えるのでしょうが、そこにおもしろいところがあります。結局頭を働かせるということです。それから体を働かせるということも、人間生まれながらにして、おのずから決まっているのです。だから頭を働かせるべく生まれた人と、体を働かせるようにできている人と、しゃべるために生まれてきた人もあります。あいつは口が先に生まれてきたと言いますが、やっぱりそういう人が政治家なら始終演説をするとか、宗教家なら講義をするとかで、そういう人も肝腎だから、その役目でよいのです。

 

【御講話篇11 P153】

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