私の養生法は無理をする事である
先ず現代医学の養生法といえば第一無理をしない事、睡眠をよくする事、栄養を十分に摂る事、食物はよく噛む事、あまり頭を使わない事等々であるが、私は凡そ逆である。私の養生法の第一は無理をする事である。というのは人間は無理をするだけ健康が増すのである。然し私はあまり無理をすると苦しいから或程度の調整はとる。睡眠は年齢によって差別はあるが私位の年では四、五時間が恰度いいのである。食物に就いては面白い事には私はいつも栄養が多過ぎる事を心配するのである。というのは多くの信者からの献納の食物が勿体ない程沢山あるので、出来るだけ少しずつでも信者の誠を食べるようにしている為もあって先ず美食家といってよかろう。それを調整する為に朝食後は必ず相当量の薩摩芋を食う。又就寝前は茶漬けをよく食い汁粉を一杯は欠かしたことがない。そうして食物にも陰陽があって、陰に傾いても陽に傾いてもよくない。勿論陰とは野菜で陽とは魚や肉である。これを偏らないように加減する。朝は陰七分陽三分、昼は陰陽半々、夜は陽七分陰三分の割合を守っている。香の物にも陰陽がある。陰とは青菜類、陽とは大根蕪の如き白色のもので、之等も半々にしている。そうしてあまりよく噛まない半噛み位である。よく噛むと胃が弱るからである。又私は食休みという事をしない。飯を食うとすぐに起って活動する。之は胃の強健法である。私が胃病を治したのは此の方法で功を奏したからである。そうして決して量を決めない。私の食餌法の原則は「食べ度い時に食べたいものを食べ度いだけ食う」のである。然し実際生活上そのような我儘は出来ないから然るべくやっているのである。茲で一寸意外に思う事がある、というのは成可く頭を使う方がよいので、之は一種の健康法で頭脳を使う人は長命である。然し心配の為頭脳を使うのはいけない。面白く愉快に使うのでなくてはいけない。此の点にも信仰の価値を見出せる。それは心配事のある場合神様にお任せするという気持ちになるので之で心配の大半は減る、つまり神様に分担してもらうのである。至極横着な話であるが斯ういう横着は反って神様はお喜びになるのである。
私は昔から一日の中必ず一回は外出する。雨が降ろうが風が吹こうが欠かした事がない。そうして出来るだけ歩くのである。之は老いて益々健康などという人にそういう事をよく聞くのである。又酒は猪口に三杯位、ビールはコップに一杯、煙草は普通程度である。以上が私の健康法である。勿論黴菌などには無関心である。故に一般人には反って不養生に見えるが実は之が真の養生法である。何よりも右の方法を実行すれば誰でも健康になる事請合である。青白いインテリ型などには決してならないから安心して実行する事をお奨めするのである。
【神示の健康法「私の健康法」より 著述篇8 P120】