霊光放射に差別があるのはその人の魂の曇の程度による

人間には"一種の神秘力"がある。その"神秘力"とは「一種の霊光」―であります。その霊光なるものは、誰しも有しているのでありますが、人によって、その「霊光放射」に、非常な差異があるのであります。

その霊光放射に差別があるのは、如何なる訳か―といいますと、―

その人の魂の曇の程度に因る―のであって、その曇の程度は何によるかというと、其人の有っている―罪穢れの多少によるのであって、その罪穢れなるものゝ根源は「悪に属する思想と行為」の結果に因るのであります。譬えていえば、君国の為を思い、人類の幸福を念じ善徳を施すに於て、其誠は正しき神に通じ、其人の魂は、曇りが払拭されるから、常に明朗なのであります。こういう利他愛の人は、霊光が強いから、治病力が優れているのであります。それに反し、国家社会より自己の為のみを思い、人を苦しめて平然たる如き、自己愛の強い人は、魂に曇が推積するので、霊光放射が無い訳であります。

元来、病原なるものは、最初に述べた通り精霊の曇であるから、それを払拭するには、病人より清い魂の持主にして初めて目的を達し得らるるのであります。故に、病人より曇の多い人が治療すれば、反って、曇を移増するから、病気は悪化するのが事実であります。之によってみても、治療士なるものは「常に操行正しく、社会の模範的人格者」たるべく心掛けねばならぬのであります。

 

【岡田先生療病術講義録 上巻(一)人間の造主より 著述篇2 P165】

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