御教え集22号 ④人間のほうで命を助かりたいときには、人間のほうで助かる状態にすればよい
個人的間違いは秘しておくと書いてありますが、これがまたたいへんなことなのです。二番目の子供を産んで、七か月くらいたったときにまた妊娠したのですが、そのくらいで妊娠すると前の子供が育たないということを人から聞いて、それを信じて堕胎したのです。いまは妊娠中絶というの体裁のよい言葉がついてますが、実は堕胎をしたのです。ですから母親に言ったのです。堕胎というのは殺人だ。わが子を殺すという子殺しの罪になるから、それも子供の病気に関係しているのだと言ってやりました。今朝か昨夜聞いたところによると、肺炎の子供は死んだそうです。ですからそれも大いに原因しているわけです。というのは、神様のほうでは、せっかく与えた子供を殺すということは、それではお前には子はいらないのだろうから、そういうのに与えた子供は、やはり召し上げるという理屈になるわけです。理屈に合わないことをすれば理屈に合わない結果になってしまいます。少なくとも信仰にはいっていながら堕胎などをするということは、とんでもない罪を犯したのです。それも、あとのやり方が理屈にあっていて、そうして非常に悔悟して、自分はとんでもない間違ったことをしたと言ってお詫びをすれば、あるいは助かったかもしれないが、そういうことも支部長はあんまり言わなかったらしいので、私がそう言ったらびっくりしてました。そうすると支部長のやり方がもっとも間違っていたのです。それでも支部長がそれに気がついて、心からお詫びして、父親か母親に子供の浄霊をさせるというようにすると、助からないことはなかったが、神様は厳しいのです。しかし理屈に合えば、神様は愛ですが、理屈に合わなければ神様はどうしようもないのです。神様は御利益をいくらでも与えたいのです。ところが資格がないのです。たとえてみれば金銭にしても、神様はいくらでもザルなり財布なりに入れてあげたいのですが、この財布の中に汚いものがあるから入れられないのです。それを掃除すればよいのです。ですから人間のほうで命を助かりたいときには、人間のほうで助かる状態にすればよいのです。それをしてないから、神様のほうにも規則がありますから、神様自身がその規則を外すことはできないから、助けたくても助けられないということになります。
【御講話10 P249】