御教え集4号 ②自分に不純な心がなければ、いくら本当のことを言っても差し支えがない
それから、これは関連した話ですけれども・・・嘘ですね。日本人のように思いますが、日本人は実に嘘を吐くんです。嘘を吐くのが、意識的に嘘を吐くんじゃない。嘘を吐くのが習慣になっている。自分で、嘘を吐くのが分からない。それほどに、嘘が身についているんですね。いろいろ、人の話を聞いていると、本当に正直に言うのは、おそらくないと言っても良いですね。必ず嘘があるんです。その嘘が・・・本人は嘘と思わないで、本当だと思っている。その場合に私が、この点が嘘で、これが本当だと言う・・・それでも解らない人がありますね。そうすると、こういう場合に、これが本当でこれが嘘だと言うと、なるほどと言う。簡単なことを、わざわざ嘘を言ってややこしくする。これは、偉い人に多いですね。なにか問題が起る。すると・・・正直にすると簡単に解決する。それを、ややこしくしている。私にこういうことを言った人がある。この場合にこう言ったほうが良いですよと言うが、嘘なんです。そり御忠告の通りにやってみると、成績が悪いんです。なにか、そこに・・・スラスラいかないんです。それで、私は思った通りにやるようにした。思った通りにずばっとやる。すると、良い。正直が一番良いですね。正直にしていると、なにも頭に残らないから・・・気が咎めない良い考えが浮かぶ。嘘の執着ですね。だから、嘘か本当かが、自分ではっきり分かれば、そこではっきり標準ができる。頭の居所が上になるんですね。特に信者は、正守護神からいろんなことがある場合に、頭をからっぽにするというのは、嘘を吐かないですね。また、自分に不純な心がなければ・・・誠意があれば、いくら本当のことを言っても、いっこうに差し支えないんですからね。よく・・・以前なんか、家内なんかが私に、そんなことを言っちゃいけませんよと言うんです。しかし、私はなんでもありのままに言うんです。すると、あんがい先方は好感を持つんですね。私なんか、ずいぶんひどいことを言うことがあります。いまはそうでもありませんが、以前の・・・駆け出し時分にですね。はっきり言うんです。すると、先方が怒りそうなものだが、怒らないで笑い出したりします。この点アメリカは非常に正直だと思いますね。
【御講話篇5 P159】