観音様に御願いする態度
今迄の何か信仰してる、信者の信仰の仕方は、私から見れば大変間違っているのである。特に神前に於て御祈願をする場合、そうである。例えば、何か願事をするのに、洵に諄々し過ぎるのである。泣くが如く、訴うるが如く、肩を震わし、哀憐を、強いて乞う如き態度は、寧ろ醜しい位のものであって、それを数分も、数十分も掛るものさえあるのである。
之は大変な間違いである。譬えて言えば、神様は親様であり、人民は子の如なものであるから、子が親に対し、希望を乞うのに、泣かんばかりに、執拗に訴えるのは、親として決して、気持ちの好いものではないであろう。此理に由って、観音様へ御祈願する場合、成可く、非礼に渉らぬよう心掛くると共に、言葉は簡単が良いのである。故に、一つの事を繰り返すのは、大変善くないのである。何故なれば、観音様は、人間の心の底まで見透して被在らるるから、御祈願する前から判って居られるのは勿論である。故に、御祈願しなくとも、常に乞い願っていた事が、奇蹟的に実現する事が、能くあるのはそういう訳である。又人間でさえ、一つの事を繰り返されるのは、嫌なものであるから況して御神霊へ対し奉っては、其点を呉々も、心掛くべきである。
(著述篇1 P407 観音様に御願する態度より )
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