原因不明の頭痛

原因不明の頭痛で悩んでいた人がいました。その原因については、代々祈祷師を受け継いできた家柄だったために、‘その因縁のためだろう’と片付けられていました。私はその人から様々な話を聞き、訪問を重ねる中で墓のことが気に掛かりました。

詳しく尋ねると、近隣の人が通る農道(人一人が通れるほどの幅)が家の裏にあり、「そこに気になる石がある」と言うのです。何時頃できた道かは知れないけれども、小さな石はどうやら墓石らしいのです。

自然石で作った墓は古いものにはありますが、それを何時しか道の石ころと思い踏みつけていたと言うので、私は驚いてしまいました。これは解決しなければならないことです。私は、早速墓地一帯を検分しました。

墓の中には400年を越すものもあり、その一番古い墓のある高台で参拝を致しました。善言讃詞を奏上致しますと不思議なことが起こりました。その日は真冬で牡丹雪が降りしきっていたのですが、奏上し始めると、ス-ッと雲が切れ薄日が差し込んできたのです。その一画だけ雪がやみ、春のような様相を呈したのです。私は神様の御守りと先祖の喜びを感じ、‘墓上げを実施しよう’と意を決しました。

しかしながら、私は墓上げの経験がありませんでした。そこで、まず墓に関する教えを改めて研鑚し、手順、留意点などを入念に整理しました。特に留意点は3点ありました。

土葬の骨は100年間存在する

1、土葬の場合、骨は土に還るまで約100年を要する。もちろん土壌の状態や土質によって多少異なる。そのため100年前までの墓は、お棺の底の部分まで丁寧に土を掘り起こす。

2、100年以上前の墓は、骨が土に還っているので、約30センチまで土を掘り、その下にある土を‘骨’という想念で掘り上げる。

3、作業は誠を込めて執り行う。先祖に通じるものは誠である。また、誠を込めると私語はなくなり、作業は丁寧となる。

墓上げの当日、私は念には念を入れて、一体たりとも上げ忘れのないように埋葬日を確認しながら慎重に執り行いました。当家はもちろんのこと、近隣の方々が寒い中を手伝いに来てくれ、中には天理教の分教会々長の方もいて、若輩者の私の指図通りに動いてくれました。そして、踏みつけていたという墓をはじめ28体の墓上げをし、新たに設えた「先祖代々」の墓に納骨致しました。

一体一体掘り上げていくと、教えの通り100年前までの墓には指の大きさほどの骨が必ず残っており、それより古い墓には残っていませんでした。また、墓を掘り上げていくと、30センチほどの深さまで進むと土の状態が変わり‘ここからがお棺だったのだな’と解りました。そして更に掘り進むと、土が固くなり‘ここが底だな’と解りました。

これらのことから、100年以上古い墓は30センチ下の土を上げる、という意味が良く解りました。私は、‘確かだな’と何度も心で頷きながら作業を進めました。

恙無く滞りなく作業を終え、「先祖代々」の墓の建墓式を執り行いました。天の数歌を唱え遷霊を執り行い、善言讃詞を奏上する時に、また冬を忘れさせるような日差しが辺りを明るく照らしてきました。さながら極楽浄土の様相で、先祖達の喜びが静かに伝わってきました。

祈祷師による霊査で確証を得る

この話には後日談があります。頭痛持ちだった人の奥さんは、懇意にしていた祈祷師に霊査を依頼したそうです。やはり若い者が執り行った祭事に不安感を抱いたのでしょう。‘本当に霊が上がって、満足しているのだろうか?’と思うことは致し方ないことです。

祈祷師は、一ヵ所一ヵ所丁寧に霊査したようです。そして、奥さんに「このように素晴らしくきちんと上がっているのは初めてだ!」と答えたそうです。

そのことを嬉しそうに私へ報告してきました。あっけらかんとしていました。‘失礼な人だなあ’とも思いましたが、これは‘確証’として私へ神様が下さったのだと受け止めました。実は、その地域の人々はその祈祷師を「太夫さん」と呼んで信頼しているそうで、その人が太鼓判を押したのですから、絶大な信頼に繋がることは間違いない訳です。

私は、こうした取り組みを重ねる中で、メシヤの教えの絶対性を確信するに到りました。そしてこの頃が「この教えを実践していけば必ず人を救うことができ、世の中の役に立つ」という確信が胸に満たされていく時期でした。また、前回でも述べたように、救いの言霊である「善言讃詞」を奏上することの有り難さを日々新たに体験できた時期でした。

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