言霊を眼にした少女

昭和59年10月5日、教団改革の現場サイドの第一声を上げた時に、その一言一言を凝視する少女がいました。実はその少女、不思議なことに言霊が見えていたのです。

世界救世教は昭和58年暮れから内紛が起こり、宗教性を教団内に取り戻し本来の在り方に向けて改革を進める「教団護持委員会」が設立されました。しかし魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類が暗躍し、二転三転しました。内容は以前お話した通りです。

そこで、現場サイドで初めて高知県の教団職員・信徒が一体となって「教団護持委員会」を支持することになり、高知県本部月次祭の折に「支持表明」を行なったのです。その準備を私が責任者であった布教所で進めたことも前回までにお話致しました。

さて、その少女に言霊はどのように見えたのかというと、一言一言の言葉が一つひとつ金色に輝いたり煤けたり黒く見えたりするのです。いくら格好のよいことを述べても、真実でない場合は煤けたり黒く見えたりするのです。そして、「教団護持委員会」に対する支持表明は、輝いていたそうです。

一方、その取り組みをないがしろにしようとする関係者の発言は、黒かったようです。それまで雲の上のような存在と思われていた教団上層部の発言が、煤だらけだったのです。この出来事は、改革を志す者達に大きな励みを与えたことは確かです。しかしそれだけではありませんでした。

言葉に込める心が重要

その少女の両親は、信仰熱心な夫婦でした。ある時、ご主人が竹で灯かり消し(当時御神前に設えていたボンボリのお灯明用)を作って、奥さんに手渡したそうです。当然奥さんは「ありがとう」とお礼を言います。ところが、少女は「今、心を込めて言ったがあ?」と指摘したのです。言霊が光らなかったからです。奥さんは、慌ててお礼を言い直したそうです。

一事が万事言葉が光るかどうかが見えるのですから、これは大変なことです。布教所内での何気なく発する言葉の中身や想念が解ってしまうのです。これには緊張をさせられます。一言一言吟味して発しなければならないからです。私は、学生時代に京都の嵯峨野で拝した仏像を想い出しました。口の先に幾つかのロウソク立てが一筋設えられていました。そのロウソクの明かりのように、私達の発する言葉に正しく心が込められていれば、一つひとつがポッポッと灯るのでしょう。

よく「習い事をする場合は、‘道’の付くものをしなければいけない」と言います。‘お花教室’ではなくて‘華道教室’です。‘お習字’ではなくて‘書道’というようにです。それは何故かと申しますと、形は確かに大切ですが‘道’を習うことが重要だからです。

例えば、華道の場合花の活け方ばかり習っても人間的な成長は望めません。形の背後に流れる精神、願いを学ばねばいけませんし、花を活けたら、余った花材の片付け方、活けた花のお世話の仕方を学ぶことが大切です。また茶道ならば、茶の道の発祥理由、流派の伝承経緯などから背景にある精神を学ぶことに意義があります。そうした眼には見えない背景にあるものが大切なのです。そうしたことを重ねる中で人間としての‘道’を心得ていくのです。

それと同様で、教団という組織ではなく本来の宗教性が大事なのです。そして、これはもちろん壇上で話す私達の講話の時も同様で、内容は見られている訳です。ですから、このことが取り組みを重ねる上で貴重なことになりました。お解りのように、心の込められていないお話は見透かされます。偽りなどもってのほかです。神様はこの少女を通して私達に何を教えようとされたのか、と申しますと、『神様は腹の底の底まで見ておられる』ということです。

教団改革はまず正しいということを裏付けされましたが、それを進める私達の心に一点の曇りもないという姿勢を神様は求められたのです。私はそのように受け止めました。信仰の原点には、『人の目は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ない』ということがあります。これは自他共に通ずることで、心得違いをしてはならない、というように自戒したのが第一歩でした。

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