2018年6月
ハワイ日刊新聞「ヘラルド紙」への寄書
今度、貴社々長代理牧野ジョセフ氏が日本へ来られ、世界救世(メシヤ)教の話を本部幹部から聞かれた処、是非教祖たる私に、何か書いて欲しいとの御頼みなので、一文を茲(ここ)にかく事にしたが将来ハワイの土地へも、本教教線が拡がる […]
『最後の審判』の型と『薬毒』
最後の審判の型ということで考えてゆけば、『何が正しくて何が間違っているのかが判らないような時代となる』というお言葉をしっかりと受け止めねばならないと思います。 今、様々な事象を見つめてまいりますと、絶えず最低“二面性”を […]
宗教を忘れると何故諸問題を発生させるのか
人は宗教行為を執り行ったが故に人になりました。ですから“宗教が嫌いと言う人は人間ではない”と言えるのです。 では、現代人の中で「宗教が嫌いだ」と言う人が多いのですが、現代人は本当に宗教が嫌いなのか、ということを考えますと […]
創唱宗教―それぞれの教祖の精神と苦悩
さて、創唱宗教の出現は『夜の時代』の到来と関連する、ということを各地でお話いたしました。その中で、最低限の良心を人類に留めさせるための役割ということで、全ての真理は明らかにされずに教祖となった旨を示しました。 これは、各 […]
自然宗教―進化の過程での猿と人間の分岐点
私達が宗教というものを考える際に念頭に置いておきたい観点として、メシヤ講座で自然宗教と創唱宗教という分類について触れました。問題提起的な手法をとりまして今月は更に考えていただきました。 一般に生命誌を辿ってゆきますと、6 […]
ご描画の御前に集うことの意義
皆様、おめでとうございます。本年も、「伊都能売観音」様の入仏記念式典にそれぞれの所属教団を超えてご参拝させていただきましたことを、非常に目出度く存じます。 宗教宗派というものを超えて入仏記念式典を執り行うことが許されるよ […]
布教の原則―何故私にご啓示が下ったのか
先程触れたような教団改革やお世話において公私に渉る問題が生じた時に心掛けなければならないことは、“泥を被る”ということです。責任を回避しないということです。泥を被らない者は詭弁を弄します。どこまでも自らが率先して汗を流し […]