胃癌と誤診された大病が奇跡的に快方に向かった話 ― 「枯木に水やって芽を吹いたためしはない」と死を宣告された父が立ち上がるまで
医学の本体(御教え)
現代医学が如何に幼稚なものであるか、又如何に恐るべきものであるかは、常に警告している通りで、左の御蔭話はよくそれを立証しているから、これを読んだならその誤診の甚だしいことと、手術の結果は反って色々の余病が発生し、遂に死の一歩手前にまで追詰められるその経路がよく分るであろう。このような例は今日日本だけでも、何万何十万あるかわからない程であろうが、当局も専門家も、智識階級も全然知る由もなく最も進歩した医学と思い込み、奨励さえしているのであるから、神様は如何に悲しんでおられ給うかと、御察しする次第である。観音様の又の御名、大悲菩薩と唱えられるのも、御尤も千万と思うのである。
(一一・三九九)
長崎県 H・T さんの体験(胃癌の誤診と大病)
枯木にも等しいと医者に見放された命をお救いいただいた、絶大なる御守護への感謝報告です。
病の始まり
身体の変調に気づいたのは昭和27年3月下旬頃。4月に入ると、起きていることが苦しくなり床についた。これが死の淵まで行く大病の最初だった。
医療には万全を尽くした。胃腸薬、マイシン。最初は薬効あらたかで具合よくなっていたが、日を経るに従って効を現さなくなる。食事は重湯から一週間たっておかゆ、またぶり返して重湯へもどり、一時よくなり、また悪くなる。そんな繰り返しが幾度も続いた。
自宅療法ではおぼつかないと思い、5月中旬、市内の某大病院内科に入院する。
「胃癌であるから手術すれば一ヶ月で治る」
主任の博士の診断はこうだった。胃癌であるから手術すれば一ヶ月で治る。手術しなければ三ヶ月かかる――。
何ヶ月かかっても切りたくないと思っていたところ、レントゲンを三回撮った結果、「どうも胃か腸の一部に悪い物が認められる。腸内か外か、はっきりしないが、どちらにしても腹を開くより外に処置なし」との強硬な診断。万止むなく、手術の一大決心をした。
誠にその時の気持は、命を落とすか落とさないかの一大岐路だった。
三、四日後、手術を受ける。二時間程かかると言われたのに、三十分で終わった。切開は胃の上部から臍下二寸まで、殆ど全腹と言える程切り、十二針縫ってある。
そして結果は――「胃癌でなく、十五センチ程の腸の癒着であり、肝臓も悪くなっている」。
癌ではなかった。
手術後、死の淵へ
しかし経過は意外だった。腹膜に水が溜まり、尿が出なくなり、日に一日、膨れは増すのみ。尿は血尿となり、苦痛がひどくなっていく。
注射は静脈、皮下、日に両方を二本から四本。衰弱は日とともに甚だしくなり、二十日後には食物を充分に取らぬよう禁ぜられた。その結果は衰弱の極に達し、身体の自由もきかなくなってしまった。
一ヶ月目にはお腹は益々膨れ、尿は出なくなり、苦痛は甚しい。無理に押し出しては身体の病に尽くしたが、苦痛は増すのみとなった。
医師側では、家内一同に対してこう告げていた。「年では無いし、お腹は薬では減らないし、治しきれないから、近い親類もあるしお知らせて置くように」。すっかり見放されていたのである。
無論、家族は隠していたので夢にも知らなかった。ふと思いついて、出産の時に出血を止める注射を看護婦に二、三本うってもらったところ、それで血尿は無くなり、栄養と言われる食事をとって幾らか元気付いた。
家に帰って間もなく、ひどい黄疸となる。その色の激しいことは、着物にうつる程だった。痒みも物凄くひどい。それまでに十二人の輸血を受けていた。もう病院にいるのが嫌で早々に退院し、家へ帰り着いた時は、実にホッと生まれ変わった思いがしたという。
「枯木に水やって芽を吹いたためしはない」
家族の者が心配の余り、再び病院に訴えた。すると博士はこう言われた。
「貴方のお父さんは肝臓が悪い上に腹膜の水はひかないし、枯木に水やって芽を吹いたためしはない」
極言であった。死の宣告が下されたのである。
日に日に体はだるく、元気は無くなり、苦痛は甚しい。家族の者は毎晩寝もやらず看病に尽くしたが、苦痛は増すのみとなった。
お道との出会い
ですが息子はじめ家内一同が熱心に奨めるので、翌日、教会に御出張をお願いした。
御浄霊をいただくと、意外にも何とも言えず爽快な気分となる。またその折のお話に「信じなくとも構わぬ。治していただいて、ああ、命をいただいた、と思った時に信仰する心になるのだから」との、今までに無い幅の広い教えがあった。成程と引かれるままに、三日後には何と自分で歩いて、十分ほどの道のりを教会へ御参詣させていただくことが出来た。
その後は大変な速度で、日に日に爽快感は増すばかり。細々した仕事もして見たくなり、一ヶ月後にはすっかり健康体の人と変わらない顔つき体つきになった。
その後、二、三回の下痢のお浄化もいただき、引続き入信の御許しも頂いた。
鍼灸師が目を見張った二十日間
退院後、黄疸の苦しみの最中のことである。かねて知り合いの唐津の鍼灸師F氏(九州鍼灸会会長兼佐賀県会長)が、所用で出佐の折に家へ立ち寄られた。肝臓腎臓が悪いからと、お灸をすえていただく。F氏は「二十日したら来るから、その間お灸に精出すように」と言い置いて帰られた。
ちょうどこの二十日の間に、お道との出会いがあった。御浄霊をいただき、三日後には自分の足で教会へ参詣できるまでになり、日に日に爽快感が増していった時期と、そのまま重なっている。
二十日後、約束どおりF氏が再び来られた。そして一目見るなり、非常な驚きを示された。色艶も動作も、すべてが俄然、健康人そのものになっていたからである。
「どうしてその様になることが出来たか」
そう問われ、御道のお話を諄々とさせていただいた。するとF氏は「フーム、救世教の御浄霊の御力には驚異の外ない」と感嘆し、こう言われた。
「今度は診てやる積りで来たが、その元気な現実の姿を見て、一切の道具を出す必要はない」
そして「今、食事は何でも甘い物でもお酒でも好きなように」とのこと。感激一入の様子だったという。
何でも安心して沢山いただき、普通の人が見たら、ついこの頃までの大病人とはどうしても思えぬ体にさせていただいたとのことです。
私の一言
このお話で、重要なこの一行。
「胃癌でなく、十五センチ程の腸の癒着であり」
癌ではなかったのです。
この方は「胃癌であるから手術すれば一ヶ月で治る」と告げられ、命を落とすか落とさないかの岐路に立たされ、一大決心をして腹を開かれました。胃の上部から臍下二寸まで、ほとんど全腹。十二針。
そして開けてみたら、癌ではなかった。
もし最初から正しく分かっていたら、この方は腹を切る必要すらなかったのではないでしょうか。
手術の後、この方の身体に何が起こったのか。順に追ってみますと、胸が痛くなります。
大きな手術と麻酔。日に二本から四本もの静脈と皮下の注射。食物を充分に取らぬよう禁じられての衰弱。
そして十二人分もの輸血。
特に輸血については、昭和二十年代から三十年代は売血による輸血が中心で、輸血の後に肝炎を起こす人が非常に多く、社会問題にもなったと言われています。
この方の、着物に色がうつるほどのひどい黄疸も、そうしたことが重なって肝臓が弱ってしまった結果だと考えられます。腹水が溜まり、尿が出なくなり、血尿が出たのも、肝臓や腎臓の働きが落ちていたためでしょう。
軽い腸の癒着から始まり、誤った診断で大きな手術を受け、手術と注射と輸血で肝臓と腎臓が弱り、腹水、血尿、黄疸、そして衰弱の極へ。
もともとの病気が悪化したのではありません。「治療」によって、追い詰められていかれたのではないでしょうか。
御教えに示されている通りです。手術の結果、かえって色々の余病が発生し、遂に死の一歩手前にまで追詰められる。この方の経路が、それをそのまま証しておられます。
そしてもう一つ、忘れられない場面があります。ご家族が心配のあまり再び病院を訪ねられた時、博士が言われたという言葉です。
「枯木に水やって芽を吹いたためしはない」
ご家族は、どんなお気持ちでこれを聞かれたでしょうか。父を、夫を、枯木と言われたのです。しかもそれは、誤った診断のもとに腹を切り、そこから衰弱させていった当の場所から出た言葉でした。
けれども、枯木は芽を吹きました。
御浄霊をいただいて三日後には、ご自分の足で十分の道のりを歩いて教会へ参詣されている。
一ヶ月後には、健康体の人と変わらない顔つき体つきになっておられる。
御浄霊をいただいた時のお話がとても素晴らしいですね。
「信じなくとも構わぬ。治していただいて、ああ、命をいただいた、と思った時に信仰する心になるのだから」
信じなさい、とは言われないのですね。この方は「そんな事で治る筈はない」と思っておられました。それでよかったのです。まず御浄霊をいただく。そして自分の身に起こったことで、自ら分かる。この幅の広さに、この方も惹かれていかれました。
最後の場面も印象深いものです。鍼灸の専門家であるF氏が、二十日ぶりに訪れて一目見るなり驚かれ、「一切の道具を出す必要はない」と言われた。ご自分の分野の専門家が、目の前の現実を見て、率直に認められたのです。
ご守護は、理屈ではなく、事実として現れる。
そのことを、このお話は静かに示してくれているように思います。


