『宗教について』
本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』47ページに記載されています。
【メシヤ講座 岡山支部】
宗教というものをもう一度考えていただきたい
宗教というものをもう一度考え直すところから「信仰の奥座敷」に入るということであります。奇蹟をいただいた・・・浄霊によって奇蹟をいただいた、それから支部や出張所に相談をして問題解決した、御守護いただいた・・・ここはどこまでも入口であります。
その入口から、人間の歴史の中でメシヤ様の御教えに基づいて考えると、一旦『夜の時代』になってですね、物質文明を発展させて、そして発展した後、精神文明を発展させて物心両面の相俟ったですね、理想世界を造るという時に、この宗教の役割というのは一体何かということが分かっておかないとですね、地上天国建設ということは中々進めることが出来ないので、ここでですね、メシヤ様の御教えを根底に置いて物事の考え方というものをここにですね、短い文ではありますけれども纏めさせて頂きました。
「自然宗教」と「創唱宗教」
楳木代表
この、纏めた上でですね、もう一度考えていくと、宗教とは一体何かということを考えた時には、宗教は大きくは二つに分かれます。「自然宗教」というものとそれから「創唱宗教」というふうに分かれていきます。
「自然宗教」というのはですね、自然に発生した宗教であります。それから「創唱宗教」というのは・・・、「そう」は創造の創と口篇に昌と書いたですね、唱えるという・・・この「創唱宗教」と二つに分かれていきます。「自然宗教」というのは、山の形が美しい、日本でいえばですね、富士山ですね。富士山には自然と手を合わせたくなります。それほど美しい完璧な形をした山でありますので、自然と手を合わせたくなります。そして手を合わせている内にどういう神様が宿っていらっしゃるか考えて、信仰というのがずうっと発生していきます。これが「自然宗教」の発生の仕方です。
「創唱宗教」の発生の仕方は教祖という人がいて、その教祖が神様から天啓を受けて、そして人類を救っていく方法とか人々が幸せになっていくということを皆さん方に教えていくために宗教を打ち立てていきます。これが「創唱宗教」というものになっていきますので・・・大きく分けると宗教というものはそういうふうに分類できるんだというふうに考えておいていただきたいと思います。
自然宗教から現在の文化形態に発展
楳木代表
そして分類した上でもう一度ですね、「自然宗教」というのを見つめていくと、「自然宗教」というのはそういう形で・・・取り分け日本の場合はですね、八百万の神々が様々な物に宿っているという、そういう考え方をしておりますので、より「自然宗教」というのは理解しやすい訳なのですけれども、ここに書かれている三内丸山遺跡について見た時にですね、ここではどういうことが営まれていたかというと、まず栗の栽培、それから鹿を狩猟して、それを食卓に並べていたのと、それから鯛をはじめとした海産物を漁獲して、そして生活を営んでおりました。この生活を営む上で大事なのは、陸上ではですね、人間が歩いて行って明るい内に歩いて行って帰って来ないことにはいけない訳ですので、何処まで行ったらいいのかということと、何処から先には行ってはいけないという、そういう規則を作り始めます。
それから、ここに出ている大きい構造物ではですね、10m位高いですね、この辺でいうと火の見櫓というのが昔あったのですけれども、その火の見櫓のようなものを建てて、海に漁に出た人達が帰って来られるかどうかというのをずうっと監視する場所がありました。それでそこの集落に住む人達が安全に生活できるという事が一番大事なので、その安全に生活できるという事に基づいて、何処まで行ってもいい、何処から先へは行ってはいけないということを村の中でですね、決め事を作っていきました。これがですね、現在では法律とか政治という分野に発展してきている訳であります。
それから海の中にもですね、食べられる物と毒をもっている生き物とか、それはこの地上にもそういうものはいますので、もし毒にやられた時には解毒をしないといけないのですけれども、この時代の解毒の場合は・・・。
まず若い人が、あの土地より向こうへは行ってはいけないという、そういう決め事を破って、興味本位で突っ走って行ってしまいました。そうすると、毒蛇に咬まれたとかですね、何かの毒をもった大きな蜂とかの巣にちょっかいを掛けて刺されてですね、瀕死の状態で帰ってきます。そうして帰って来た時にですね、すぐ解毒の処置をするのですけれども、その解毒の処置をする前にですね、当時の村のトップがですね、まず集落の者全員を集めて、“この者が村の決め事を破ってあそこまで行って、あそこを超えてしまったので、こういう猛獣毒蛇にやられてしまったのだ。だから、こういうことをやってはいけない”ということを、もう一回みんなで申し合わせをしないといけない。“必ず守ってくれるか”ということを確認して、全員が“分りました”と言った時に解毒を始めるというようなことを積み重ねてですね、そうして決まり事を守ってきたという、そういう事を通して1500年間秩序を守ってきたところがあります。
この秩序を守る方法が現代では行政とか裁判とかいうものに進化してきております。それから解毒の方法は、現在では医療という形に段々発展してきているという事でありますので、現代の文明というのはそうした、縄文時代に構築したですね、集落運営のやり方の要素が発展してきて現代の文化形態になっているという、そういう長い歴史の見つめ方を、まずメシヤ様の弟子である我々はですね、持っておきたいというふうに思います。
人類の歴史に見つめながら御教え拝読を・・・
楳木代表
そういう歴史の見方を持った上で、もう一度メシヤ様の御教えに基づいてですね、三千年前に『夜の時代』になったということを理解した上で、それに基づいて御教え拝読をしていかないとですね、メシヤ様の御教えを非常に狭い捉え方をしてしまうことになってまいります。メシヤ様の御教えは人類の歴史をずうっと見つめた上で、私達に御教えを説いて下さっておりますので、その御教えを拝読した時に、画期的な教えであるが故にですね、私達は人類の歴史というものを見つめながら拝読していかないと、どうしても見誤るところがありますので、それでこういうことを纏めて書いております。
ですから、この「自然宗教」の担ってきた役割というのは、その集落の人々を守るために「自然宗教」というものはあったのだ、と・・・そして少しずつ文化が発展してきた時に、この文化の発展した発展の仕方がより理想世界になっていくために、「創唱宗教」というものが次には出てきたのだ、と・・・。
で、私達が今信仰している「世界救世(メシヤ)教」を復興して、「世界救世(メシヤ)教」の信仰をやっていこうというのは、この「創唱宗教」の頂点を目指していっているということであります。この頂点を目指すということが、『善言讃詞』を唱える時に「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」ということになってきますので・・・そういう私達の頭の中を人類の歴史をずうっと見つめながら、御教え拝読をしていくのだ、というような心がけをですね、そういう考え方を持って御教え拝読をしていく、世の中の動きを見ていく、というふうに考えていただければありがたいと思います。
二度と同じ問題を起こさないために
楳木代表
次はそういう歴史のことを考えていきましたけれども、これからですね、宗教というのは問題解決をしていくのが第一の使命としてあります。で、問題解決をしていく時には、原田さんが発表しましたように、御教えに沿って取り組んでいけば解決方向に進んでいきます。しかし、一旦解決したものが御教え通りの生活をしていかないと、また元の木阿弥で問題が発生するということになりますので、一旦問題解決を許された人はメシヤ様の御教えに沿って生活をするという、そういう生活を営んでいただきたいというふうに思います。
その営み方を学ぶ場がこの支部でありますので、或いは出張所でありますので、メシヤ様の御教えに基づいてどのように生活をさせていただくかということを、今後の課題にしておいていただきたいと思います。それがですね、「時代に活き活きと生きていく」ということになっていきます。
それで、時代に活き活きと生きていくという点に於いては、現在はですね、司会の方から祭典5分前になったら、「携帯電話はマナーモードにするか電源をお切り下さい」というように、ほとんどの方が携帯電話を持って歩いております。そうすると、話したい人と、或いは連絡を受けたい人とか連絡を伝えたい人と瞬時に繋がる機械を我々は持っている訳ですね。ですから、メシヤ様がずうっと唱えて実践してこられた『即時性』というのは、物質的にはもう完成している訳です。
しかし、物質的に完成していても、霊の世界は完成しているかというとそうではないので、霊の世界を完成させるということが、実はメシヤ様の御教えを実践するということになっていきます。色々課題があったらすぐやる、すぐ取り組んでいく、そうしたことを・・・今日も誰かとですね、これから掃除をしていかなくてはいけないという話になったんですけども、この掃除の話が出たらすぐ帰って玄関を跨いだらやり始めるということでないと、現代に生きているということには、そういう生活にはなっていないということです。物質的にはもうすぐにやれる体制が出来ているのですけれども、霊の世界はすぐやれるかというとその人の心掛け次第ですので、一つ一つをそういうふうに見つめて行ってですね、折角体が良くなったり抱えている問題が解決したら、二度と同じ病気にはならない、二度と同じ問題は起こさないということに取り組んでいく、それは御教えを実践する生活にあるのだ、というふうに受け止めていただいてですね、そうしたものを“練り合っていく場所が支部であり出張所なんだ”と心がけて、そういうことを積み上げていっていただきたいというふうに思います。
どうしても私達は長い歴史の中で、生まれ変わり死に変わりしてきてですね、色んなことを勉強してきたのではあるのですけれども、過去のですね、取り分け三千年来の唯物中心のですね、生活を営んできたために、物事を唯物主義で捉えてしまう癖とかですね、それから『夜の時代』の宗教のやり方の癖がびっしりと自分の中にですね、染み付いておりますので、それを取り除いていきながら進んでいかないといけないということです。
それから、この染み付いた染みをですね、染みのように染み付いた『夜の時代』の癖を取り除くためにはですね・・・、その癖はどういう時に出て来るかというとですね、無意識で何かをやる時に出て来る訳ですね。ですから頭では“『夜の時代』の癖を取り除かないといけない”と分かってはいても、その癖というのは無意識で動く時に出てくるものですから、中々癖が出ていることに気づかない訳ですね。
だから取り組んでいるようで、実は取り組んでないという状況に私達は陥ってしまいます。それを何とかするのが支部への参拝であるし、支部での奉仕、出張所への参拝、出張所での奉仕、それから御教え拝読、浄霊をいただくということになっていきます。一つ一つのことがですね、初心者の浄霊、或いは初心者の参拝から、『夜の時代』の癖を取り除く、そういう浄霊、参拝というところにお互いが高まっていかないと、皆さん方に繋がる、霊線に繋がる人達に光がずうっと入っていくということには中々繋がっていきません。
生活そのものが本来の宗教
受講者
「自然宗教」ということを教えていただいたんですけど、「自然宗教」というのは、今考える宗教とちょっと違うような感じで、今一つピンと来ないんですけど、もう少し教えていただけますか。
楳木代表
それは分類した時に「自然宗教」だと言える訳で・・・元々その生活自体が本来の宗教なんだと・・・。日本では伊都能売神皇様が頂点にいらして、そしてこの三内丸山とかですね、あちこちに大きな集落があって、そこへ古い文献でいくと、舟に乗ってそこへ天皇が巡幸されていたという・・・空飛ぶ舟ですよね。だから「羽」という字が付いている土地は、ほとんどそこの飛行場だっただろうと、そういうふうに言われている訳です。しかし、その文献が残ってないので、日本というのは文字を消してしまったので・・・古い神社の木片の中には、古代のホツマツタヱの文字が刻まれているのが少しは残っているのですけれども、ほとんど消されてしまって現在の漢字とひらがなとカタカナになってしまったのでね。どのような形で巡幸されていたかということは、一つは判らないところがあるのですね。
受講者
伊都能売神皇様と人間の関係が何となくぼやっとしているんですけど・・・そういうふうに巡幸されていたということなのですね。・・・ということは、かなり明確な意識で人というのは、神様に対して真向かっていたということなんですね。
楳木代表
そうですね。そしてここに書いてあるように、墓の埋葬場所が成人者と成人者で無い人とを区別していたのが現在のですね、神道の送り名である毘古、毘女は30才以上ということになっていきますよね。それまでは、比古比女で、流産とかそういう形で亡くなった人は児之神霊というふうに呼んでいます。そういうふうに年齢を区分していたのです。それで、三内丸山からさらに時代が現在に近づいた時に、細かく分けていったということです。
受講者
今は余りそういうことは残っていませんね。
宗教を忘れた現代人とペット問題
楳木代表
今残ってないということが、実は宗教を忘れたという事を言っている訳ですね。それから忘れた人達が更に、樹木葬とか散骨とかということをやり始めているのです。
それからペットを飼っている人は、およそ餓鬼道に落ちた人達の先祖がペットに懸って、ペットを飼ってもらっているのだけれども、ほとんど先祖が餓鬼道に落ちた人達が懸っている訳ですね。それでペットが家の上に上るということです。家の土間とか外で飼っているペットは関係ないですよ。それには先祖は懸ってないけれども、家の上に上って我が者顔で動き回っているペットは、ほとんど餓鬼道に落ちた先祖が懸っているということです。
受講者
今、ペットが隆盛を極めているということは、そういうことなんですね。
楳木代表
そういうことですね。だから、宗教を忘れた先がそういうふうになってしまっているということです。だからそれで、人間の神聖さが無くなってきているので、犬とかに引っ張られて交通事故とかに遭う人がいるでしょ・・・あれは全くその成れの果てだということです。人間性が失われているから、動物に引っ張られてしまうということです。動物をこちらに引っ張って、自分の言う通りに動かさないといけない立場の人間が、動物に引っ張られて事故を起こしてしまうというのは、人間性が薄れていっているからです。
そうして、それが更に進んで、動物愛護団体とかというものが出てですね、変な世の中にさせられていっている。之が実は、宗教を忘れていっているということになるのだということですね。それをメシヤ様は立て直そうとして、世界救世(メシヤ)世界救世(きゅうせい)教にさせられてしまった、と・・・。
そして、今は更に細分化されて、何々教団、何々教団というふうになってしまっている訳です。それをもう一度メシヤ様の御教えに戻して、この日本全体の人間性が無くなりつつある方向に行かされているその日本を、もう一回元に取り戻してですね、そして、その日本を中心に世界を天国化するというのが私達の願いですので、生半可な取り組みではこれは実現していかないので、皆さん方の奮い立つような立ち上がりがないとですね、こういう御神業というのは進めていくことが出来ないので、まず、岡山支部の使命たるや大きいと・・・。(笑)
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【メシヤ講座 三重支部】
集落の人々の安全と繁栄を願う運営
楳木代表
そして、宗教というものを見ていく時に、今回は三内丸山遺跡を取り上げましたが、三重支部から車で一時間ちょっとで行ける、奈良県の平城京跡に行くと、より分かり易いと思います。平城京に出仕していた人達は、夜明けとともに歩いて朱雀門前に立って、出仕場所に入って行きます。そして一日の仕事が終わったら、日が暮れるまでに家に着かないと、街灯などがなく暗く夜道が非常に危険ですので、それが日常の生活になっております。
それが三内丸山遺跡では、ここに出てくる鹿肉のハンバーグを食べる為に、鹿を捕ってこないといけないということが起きます。それから、鯛は4mの盛土の中にずっと埋まっているのですが、私も見て来ましたが、鯛の骨は大体3kg位あったであろうものが並んでおります。ということはその鯛を海に出て釣ってこないといけないので、夜明けとともに出て行って、日が落ちる前に帰って来ないと危ない訳ですので、今の様に電気がないので、そういう事で集落を運営していくという事になると、日が昇っている間に狩猟に出て行き、帰って来ないといけないという事の為に、みんながそういう認識に立っておかないと、その三内丸山の集落を維持できなくて、犠牲者が出てしまうという事なので、そのルールを決める人、いわゆるトップが居ました。
それと、この時期には猛獣、毒蛇がまだ生息しておりましたので、我々の子供の時も、うちの祖父や父が山に草刈りに行くと、大体10m位の大蛇がまだ生息していたようですので、それが、2m位の草を刈りますので、刈ったら、蛇が鎌首を持ち上げているのに出会ったりして、みんな逃げたりした、そういう時期もまだ私が子供の頃にはありました。
それから、以前に一度話しましたけれども、長野県の山道を超えて静岡県に入る時に、トイレ休憩をしたのですが、トイレから出た瞬間に3m位の蛇が鎌首持ち上げてこっちを睨んでおりましたので、それは今までに見たことのない蛇だったので、毒を持っているか否か分からず、ただ恐ろしさの為に判明しなかったのですが、幸い竹箒(ぼうき)が有ったので、竹箒(ぼうき)を鎌首に投げつけて、その間に車に乗って峠を越えたという経験があります。そういう毒蛇が住家にしている場所とかは、トップが立入禁止の決まりを付ける訳です。
しかし、若い者の中にはそうは言っても、“どんな毒蛇がいるか見てみたい”とか、それから「長老はそんなこと言うけれど、俺らは直ぐに対応できるから大丈夫だ。」と言って、そういう立入禁止区域に規則を破って入って行くと、毒蛇に噛まれたりする訳です。噛まれて瀕死の状態で仲間が連れて帰って来ますが、その時に解毒する方法をトップは知っているのですが、直ぐには解毒処置をせず、集落の人を全部集めて、そして、「今日、この者は、この村の決まりを破ってあの禁足の地に入ってしまった。その為にこうやって死にかけている。この約束事を絶対に破らないという事を全村人が誓わない限り、この者の解毒処置はしない。」ということで、一人ひとり確認をしていく。非常に時間の掛かることですけれど、「二度とあの山には入りません!。」という事を全員が誓った時に、初めて、解毒を始める訳です。そうして村の約束事を守っていかないと、未だどういうものが生息しているか判明しない内は、その村の人達を護って、その村を繁栄させるという事ができないので、トップは必死にそういう事を守っていった訳です。
それから、10m位の構造物が一番その集落の端に建っていますが、縄文時代というのは海水がもうちょっと高い所まで来てたようなので、今の海岸とは違い、もうちょっと内側に海岸があったと言われております。ですから、恐らく現代でいう火の見櫓(やぐら)的な使用の仕方をしていて、海に漁に出て行った者達が日暮れまでに帰って来るのが潮の流れの関係でちょっと遅れたら、そこに松明(たいまつ)を燃やしたりして、“安全に帰って来るように”というような措置をしたのではないかと今言われております。
それほど、その集落に住んでいる人々を安全に、自分達の食生活の為の食材を確保して、豊かにする為に必死にその集落をトップは運営していたということです。それは全て自分の権力を維持するという事ではなくて、集落の人々の安全と繁栄を願って運営を行っていたという証であろうかと思います。
そして、中には残念なことに、成人を迎えないでお亡くなりになった人がいるので、墓地は成人になってお亡くなりになった人と、成人前に、子供の時にお亡くなりになった人と分けて、その埋葬の仕方も変えているということであります。
ちなみにこの翡翠(ひすい)とかは何に使っているかというと、翡翠(ひすい)は大体緑色からブルーがかった色ですので、この色は縄文時代には「再生」という意味があったので、“もう一度生まれ変わって来てもらいたい”とかの願いの下に使っていたようです。漆(うるし)ももう有ったようで、我々が食事に使う漆器の中を赤に塗っております。これは「生命の息吹」とか、これを食べることによって、今でいう“エネルギーを自分が貰える”とかいう願いを込めてお椀の中を赤くしていた様であります。そうしたような願いと当時使っていた貴重品というものが繋がりをもって、それが、将来文化が発展して行く根底にそういう事があった、という事が今、研究者によって分かりつつあります。集落のトップは何処までも、集落の人々の安全と繁栄を願って運営していました。それが現在では「政治」という形に進歩発展して来ている訳です。
それで今度、政治が上手くいっているかどうかという事を色々と論じますが、この縄文時代のトップの運営の仕方に立ち返って政治というものを見ていけば、政治家の、今朝も舛添知事が随分叩かれておりますけれど、都民の為を最大限願って動けばどういう動き方になるかという事がひとつ、それから、海外の旅行でかなり良いホテルに泊まっているのは、「都民のお金でけしからん。」という事を言っていますが、東京都の知事の地位を“日本人は知らな過ぎる”ということですね。大体1千万人の国を見ていくと、その国の大統領と都知事は大体同格だという事ですので、西洋などに出て行った時には、小さい国の大統領と同じ位の扱いを、そういう風に見なすという事です。ですから、ヨーロッパへ出かけて仕事をする時に、「お宅は今どこへ泊っているのか、宿泊しているんですか?。」と聞いて、その宿泊するホテル名でその人間の価値を決めるとう風習がヨーロッパにはあるので、節約して変なホテルに泊まっていると“東京都知事という者は大したものでない”という風に見做すという文化が西洋にはあります。その為に“都知事という者は最高級のホテルに宿泊しておかないといけない”という事を知らない人達が実はマスコミで騒いでいるという事になってきます。そういうわきまえを日本人は知らないで生活をしているという事が一方ではあるので、根本的な事が分ると同時に世界に出て行った時には、その国々でどのような見方をしているかという所まで、分かった上で出て行っているのだという認識、見識を日本人には持って貰わないといけないということがあります。
そうした事を実はメシヤ様は細々と御講話の中で話されているので、弟子達はそれを受け留めて、根本的な宗教というものが分ると同時に「現代に生きる」という事はどういう事かということを、弟子達が信者さん達にお取り次ぎして、そして信者さん方が世の中に感化を与えていくというような生活をしていかないと、地上天国を建設していくということが実現していかないという事でありますので、そうした事を再確認する意味でこの「宗教について」はですね、読んで頂ければ大変有難いと思います。
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【メシヤ講座 出雲支部】
世のさまを見る「超高額な新薬」
楳木代表
それから54ページの3行目に『宗教を想い出す作業をする上で、現代程条件の揃った時代は無いということです。様々な謎が解き明かされつつある時代に際会している喜びがフツフツと湧き上がってまいります。』という様な事は、例えば今話題になっている「オプジーボ」(一般名・ニボルマブ)という薬の事、テレビとか取り上げているのを聞いた事あります?オプジーボ・・・新しい抗がん剤、それが使用すると月に300万円かかるので、年間3600万円かかるんだけれども、健康保険の適用になったので、月8万円で良い、と。健康保険にその薬を使うと月々292万円国保から出さないといけないので、これ等を余り使い過ぎると国保が破綻してしまうので、これを使うのは年齢制限を出そうという事で、今ワイワイ話し合いをしております。75歳以上の人は保険の適用から外すとか、「お金を持っている人はどうぞ使って下さい。」と。お金のない人は残念ながら保険の適用にはなりません、という・・・これ不公平じゃないかという事で、今ヤイヤイ言っております。オプジーボというのは・・・、今迄の抗がん剤は叩くだけだったのですけれども、癌の性質を見て、癌細胞は免疫細胞を鈍らせる物質を出しているという事を発見したので、オプジーボというのは、その物質を出した時に免疫の直前でブロックするような、そういう薬。だから癌細胞が出した物質がですね、免疫力を弱まらせることができにくいようにする薬なので、殆んど副作用がないと言われています。「非常に画期的な薬だ。」と・・・。そして、臨床試験でも普通の抗がん剤を使うよりもそれを使った方が、延命力が4割から2割延びるという事が分かったので、これは今迄に無い、良い薬だという事で評価を受けていますけども、「肺がん」とかには使えないという、そういう制約が幾つかあるようですけれども・・・。
然し、それを見て行くとですね「癌」というのは、どうして増殖して行くかというと、二つの理由があって、突然変異をする訳なので、自分の細胞が或る日突然癌細胞になる時の、突然変異をしていった所が細胞分裂した時に、男の人は25歳から細胞分裂したら片方が死ぬという仕組みが、遺伝子の中で発動されて行くので、必ず細胞分裂すると片方は死にます。ところが、癌細胞になると、片方は死ななくなるので、2倍、2倍で増えて行って自分の器官を圧迫するので、自分の器官が働かなくなるという事と、器官の中に入って成長して行くので、それ自体が壊れて行くという事が起きて来る為に「癌」で死に至らされる事が増えてくる訳なのです。その仕組みが一つと、もう一つは、その物質を出して免疫力が攻撃しないようにしていくという仕組みがあるので、癌が増えるという事が分って来たので、オプジーボという薬は、今脚光を浴びているという所です。
一方では、味噌汁を一日3回飲む人は、乳がんになりにくいという事も分かって来ております。女性の方が、乳がんになる人が・・・、飲む人と飲まない人、10年間ずーっと追っかけて調べて行くと、味噌汁を毎日3杯以上飲んでいる人と全く飲まない人は、1.6倍ですから、それだけ飲まない人は乳がんになっているという様な事が分って来ているそうです。日本人が味噌汁を毎日食べるという事は、味噌の中に含まれている大豆のイソフラボンという成分が、がん細胞になる突然変異を起こさないように抑制してれるというのが分かったそうです。
(厚生労働省研究班が1990年から10年間岩手、秋田、長野、沖縄の4県で40~59歳の女性を追跡調査した結果による。)
私たちの食生活が添加物を含まない昔ながらの食生活をして行けば、癌になる事を出来るだけ避けて行くことができるという様な事も分かり始めたので、今こそですね、メシヤ様の御教えを世に出して行くに好機は無いという事であります。『浄霊』と『御教え』というものを今後一層整理しながら、出して行きたいなぁ、というふうに今思っています。そういう事で、良い時代を迎えているという事です。
人間本来の「生活三訓」
楳木代表
それから、その前のページに『「笑う」「感謝する」「正しい生き甲斐をもつ」ということが免疫力の向上に繋がる、』という事では、脳卒中の罹患率・・・、笑う人と笑わない人を比較して行くと、笑わない人は、笑う人の1.6倍「脳卒中」になりやすいという事が、データとしては分かっているそうです。だから毎日笑って暮らせるように・・・何時もかっかかっかしないように、(笑い)だから夫婦であれば、お互いに相手を笑わせるように、心底笑わせるような会話を1日1回は考えて相手を笑わせようという事を、やって頂きたいと思います。それで、そういう相手がいない場合は(爆笑)落語など聞いて、馬鹿笑いをするような事をして行けたら、良いのではないかと思います。今テレビ番組でやっている、あれは下品な笑いばかりですので、やっぱり落語あたりを聞いた方が、良いんじゃないかなと思いますね。そういう様な事が少しずつ分かって来ている時代を迎えているという事は、非常に素晴らしい事だと思います。