個人における夜昼転換
御教えではこの一大福音を、『夜昼転換』という一語に集約されて説かれています。
ところが、この教えを説かれ、やがてメシヤ様となられる御方でも、ご啓示より約5年間の検証が必要であったことが伺えます。検証を終え、ご決意を固められたのが昭和6年です。そして、同年6月15日に鋸山々頂において『夜昼転換』のご神事に臨まれております。ただお一人のご決意により『夜昼転換』がなされたのです。神律というものがありますが、実行者はどこまでも人間なのです。
それ故に、私達の『夜昼転換』も、私達自身の決意によって実現するところがあります。しかし、我々がすぐさま理解し、行動を起こすことができるかというと、それは至難な業であるとも言えるでしょう。それ故に、決心し行動することができたならば、それ自体奇蹟に等しいのです。
これからの御神業は、その奇蹟を一つひとつ許されて行くことなのです。素晴らしい御神業と表現したのは、まずこのことです。
この『夜昼転換』は、『三千年来の・・・』という表現で理解できるように3000年のサイクルの転換期です。もっと大きなものは、ユダヤ暦の5766年や稽暦(縄文時代)の6061年ということから6000年のサイクルの転換期があります。
それから、その倍のサイクルを説く人もいます。(紹介を受けた書籍がまだ届いていませんので、詳しくは述べられません。)この大きなサイクルの中で、私達は生まれ合わせています。ですから、人と人の出会いそのものが奇蹟的なのです。ましてや関わり合いが深まり、親密になるということは、奇蹟中の奇蹟と言えるのです。
それでは、私達個人の上での『夜昼転換』というものはどういうものなのでしょうか。人生において様々な寄り道をしたとしても、浄霊に出会い、御教えに辿り着いた瞬間が『夜昼転換』なのです。『転換』を許された後は、日がどんどん差し込むように変化してまいります。そして、「本来の人間生活」に向って行くのです。
その過程は『破壊』と『建設』の同時進行ですので、快く受け止めることができることばかりではありません。火素の増量に伴って『浄化』をいただく最中は大変です。しかし同時に進む『建設』を実感することができた時に湧き出る感謝は例えようもありません。その一歩一歩をしっかりと歩んでいただきたい、と願っております。