メール交換③

(1)先生が平安郷が気になっていた理由は?平安郷のみ教えに沿った建設とはなんですか。また現在沿ってない所があるとすればどこでしょうか。私は何度も参拝してますが、一度非常にくさい時がありました。まさかとは思いますが肥料等を使っているのではないでしょうか。(中略)あくまで私見ですが吉岡館長、渡辺先生、篠田先生、中川先生が「天之若彦命」的というのが何となくみてとれました。

(2)私の各宗派をみた感想ですがどこも礼拝対象についてはそれなりに筋が通りますが(新生派の大光明真神は別です。)祖霊祭祀はどうもなっとくしません。そこでメシヤ降誕仮祝典以降の祖霊祭祀についてご存じなら教えてください。とりあえずメシヤ降誕仮祝典でもって信仰が完成したととってもいいと思うからです。またそれと現在あるべき形式が違うのならば、どのような形がのぞましいでしょうか。

(3)み教えに、ある夫人を明主様が浄霊で直し、夫人が感謝してその家の何階かを観音様の部屋にしたとあり、そこにあった観音様を後日、亭主がよって無茶苦茶に切り刻んだとあります。その後明主様が観音様が違っていたとお気づきになり、若い観音様を書き直して「なるほど」と思ったとあります。何がなるほどなのですか。

(4)私見ですが、「六踏三略の巻」がありますが、地上天国建設は源氏が平家の戦術でということでしょうか。観音様は邪神のもとで修行されるという様な気がします。

(5)秀明が利用されたとありますが、誰にどのように利用されたのでしょうか。また先生の小山会主についてへの思いをお聞かせください。(中略)

(6)再建と再建の川合先生についてへの思いをお聞かせください。私見ですが祭式は二位一体で改善された気がします。ただし完全に川合教の色あいが強い気がします。

(7)EMについて。私はこれで自然農法を名乗るとは許せないのですが・・・。 (後略) <2004.4.29・PM9:41>

A.  今晩は。ご自身の事(略部)について語っていただき嬉しく思います。

(1)釈迦を代表する清涼寺と阿弥陀を代表する法然寺、そしてその間に位置する春秋庵が観音様を代表する、ということをご承知だと思います。それに相応しいものになりつつあるかが、関心事です。それから、最近新生派では「明主様をこれからメシヤ様と尊称する」旨を現場で徹底しているようなので、その取り組みの程が気になったのです。

とりわけ、春秋庵は私にとってメシヤ様との霊夢での初めての出会いの場であります。私は、かつての「救世専門学院」在学中に、春秋庵警備の御用が時折許されておりました。様々な事で節目を迎えている時に、メシヤ様がお出ましになりました。情景を説明致しますと、先達が乗り込んでいるバスのステップにメシヤ様が御足をおかけになりながら振り向かれて『開拓布教へ行くぞ』と声を掛けていただきました。「はい」とお返事し、私も後へ続きました。私は、その後大きな節目の時には、メシヤ様直々にお出ましいただき方向性をお示しいただきました。それだけに大切な場所なのです。

(2)祖霊祭祀は二代様によって始められたものです。御教えには『仏の事は仏に任せろ』とあります。もちろん救霊はなされており、その方法も伝授されていますが、祖霊祭祀は止めた方が良いと思います。もっとも、御昇天後の葬送の儀である「昇天祭」、続いて「二代教主推戴式」から祭事のあり方が変わっていますので、仕方のないところがあります。

(3)(4)御教えは「なるほど」と、拝読した方が良いです。

(5)川合先生を中心に進められた「教団一元化」を阻止するために、三代教主様が小山先生へ離脱を依頼した、と聞いています。また、そうした経緯があったために三代様は秀明にしばしば足を運ばれたようです。小山先生のお心如何ばかりかと推察できるものです。

(6)教団が三派に分裂する前に紛争が起りましたが、そのことを創価学会では周知していたそうです。もともとMOAは、川合先生が創価学会の池田会長を模して作ったものです。底が知れたものです。

(7)私もEMを使用する農法を自然農法とは思いません。再建もバ-ク堆肥なるものを使い、護持もコラボ堆肥なるものを使用しています。どれも自然農法の精神を忘れています。自然農法の第一義は土を汚さないということです。 (後略―この後面談の打ち合わせをして終了。)

メシヤ教
楳木和麿<2004.5.4・PM9:38>

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