社会は相互教育の場
先日、十代の方々との会で座布団が出されていたので、「座布団の前はどこかご存知ですか」と尋ねましたところ、親御さんもいたのですが答えられる人はいませんでした。人をもてなす時にそうしたことを知っていると、心を込めやすいので尋ねてみたのです。例えば、行儀作法を習うと「心を添えて襖を開けなさい」と教えてくれます。そうすると、ドアの開け閉めなども違ってきます。
「道」が付いたものを習うと、そうした行儀作法の精神を合わせて教えてくれます。これが人生に味わいをもたらしますし、深みを与えてくれます。昨今は躾においてこうした習い事を取り入れることが少なくなっているようで、非常に残念です。
子育てで容認が多過ぎると思われます。認めること自体は尊いことですが、認めた上で躾を身につける意義を教え実践するように仕向ける工夫が親側に欠如しています。また、人材育成センタ-などで、若手に順序だてて作法のあり方や精神を教えると、納得し進んで身に着けようとするそうです。これは、親が作法を知らないか、教え方がまずいかのどちらかを意味しています。
最先端の研究では、人間は生涯のうちで脳の数パ-セントしか使用せずにいることが判明しています。ですから、脳梗塞などで脳にダメ-ジを負っても、リハビリをすることにより他の部位が補い始めるそうです。そして回復へと繋がるようです。しかもその時に大事なのが、本人の「やる気」と「すぐにやり始める」ということだそうです。
現代は脳に各種の障害を先天的にお持ちになる方が増えている、という報告があります。これに対してまず「認める」ということが大切ですが、認めた後をどうするのか、ということがもっと大切なのです。ここでも「やる気」と「すぐにやり始める」ということが重要なのです。
躾の基本がどこまでも大きな意味を持つのです。親自身の愛に基づいた「即時性」「集中力」「継続力」が問われるところです。
人として生きてゆく上での基本は「ウソをつかない」「人に迷惑を掛けない」「自分のことができたら、人のためになることをする」ということです。このことを身に付けさせるためには、手伝いなどを必ずさせる必要があります。そして、よくできたら、褒めて、感謝するのです。この反復をしない限り、子育てをしたことにはなりません。
ところが、高度経済成長をする中で、先ほど引用したような不正を国の上層部にいる者たちが重ね、それに引きずられ国民全体に蔓延していったのです。肝腎要の「人を育てる」ということを、怠ってきたのです。教育改革や少子化対策とは、この点から変えてゆく覚悟でなければなりません。
そのためには、国民全体が「自己教育」に努めねばなりません。青少年の教育はもちろんなことですが、まず大人から自らを教育するのです。大人の中では、上に立つ人間から、また年長者から取り組み、範を示さねば、改革は進みません。それが、社会は相互教育の場だということです。
人々を教え導いてゆく決意を
もちろん、このようになってしまうには様々な原因があります。現代人を「視野狭窄状態」に陥らせている「履き違えた民主主義」「経済至上主義」「マスメディア」に対して、「ちょっと待てよ」という心を取り戻す。そのためには、「薬禍・薬害」に目覚めて、正常な心身を取り戻す。更にそのためには、もっと浄霊を取り次いでゆく、ということが実践課題なってまいります。
そうした意味で、今日の慶き日に心新たな気持ちで、人々を教え導いてゆく決意を固めていただければ幸甚です。それが、救いの展開です。
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