感謝と自立・・・自らの幼児性を抜く
楳木代表
ある大学の入学式後に、特任教授が新入生と父兄に短い講義をしています。
「これからの産業と学業が一致する方向で我が大学は教育方針を立てているので、暦通りに休みはこの大学にはありません。徹底した学業をさせますので・・・」という話をしていました。
その時に、「学生諸君にまず持ってもらいたいのは、4年間ここの大学で勉強できるということは親の力によって出来る訳なので、そのことに感謝ができなければ学業は納まらない・・・」という話をね、最初にしたのですね。
その次に、「人間として生きていく為にはコミュニケーション能力がなければいけない。人と人がどのように関わり合っていくかということが大事なので、大学生同士、色んな学部と学科を越えて話し合いの持てる、そういうスペースをこの大学は用意しているので、そこに絶えず立ち入って色んな人間と関わって欲しい」と・・・。
そして三番目は、「高校生と違って自分が自分で決めて、講義に出て、そして単位を取っていくので、そこで一番大事なのは、自立をしていくことなのだ・・・」と。
だから、この感謝と自立がなければ、「今までの幼児性は抜けない」と・・・このようないい話をしていました。これは、今大人になっている我々にも当て嵌まることで、感謝の持てない人はいつまで経っても子供なのだということですね。
それから、自立してない者、人を頼っている者もいつまで経っても「あの人がこうだから」とかいうようなことを言っている人は、見かけは大人になっていてもいつまでも“子供”なのだ、と。これをトータルで「幼児性」というのだ、というようなことは我々にも当て嵌まっていくことですので・・・。
これから私達がメシヤ様の御力をいただきながら進んでいく時には、そうしたことをしっかり腹において生きていかないといけないという事があります。どうかメシヤ様の御教えというものを頂点において、それを求めて営む我々の生活というのは、まず幼児性を抜いていくという、人から言われないと出来ないというような所から卒業していく、或いは人に対して“あなたこうしなさい”というようなものから抜けていくことなのだ・・・、ということです。そうしたですね、生活をさせていただきつつメシヤ様が絶えず心掛けたですね、合理的な考え方、それから自分のことよりもまず人のことという、そういう利他愛ですね、そうしたものをいつも心掛けていっていただきたいというふうに思います。