御垂示録16号 ①善悪を決めること
***八月十五日以前と敗戦以来ということで、われわれが知っている世界でも変わりましたから、ましていわんや善悪を決めるということなど、とても分かるはずはございません。
それを「あいつは間違っている、あいつは悪い」ということは、いつも言う通り神様の領分を冒しているのです。人間の分際でそういうことは分かるわけはないのです。ですから自分が正しいと思うことをしていれば良いので、人の言うのは、よけいなお世話です。
***よけいなお世話で、どのくらい罪をつくっているか分かりません。
そうです。そういう場合に常識で判断しなければ駄目です。やっている経路ではなく結論で判断するのです。良いとか悪いとか、いろいろ議論しますが、議論は良いと思ってやっているのだが、議論してその結果はどうかということです。
議論する結果としない結果を考えてみて、結局しない結果が良いのです。
というのは、議論というのはそれが良いと思ってやっているのですが、ところがそれは神様しか分からないのです。だからある程度まで意見を言うが、そこでスラスラいかなければやめるのです言うのは、なにを言っても良いのですが、そこであっさりとして、スラスラといかなければやめるのです。これが本当に良い説ならだれも刃向うことはできません。それはそうだとなります。そういかないということは、どこかにねり方が足りないということになります。
【御講和篇6 p310】