御教え集33号 ①光に浴して助からなければならない
神様でも仏様でも全体の霊が、一番に光を欲しがるのです。
ですからいまも読んだとおり、マホメットなども非常に光に憧れているのです。またその後出た龍神やいろいろな神仏も、少しでも光に浴したい希望です。というのは、いままでの人間で神様の光というものを持った人はいなかったのです。そこでヨハネなどが二七五〇年間地獄におられたわけです。それからキリストでさえも、そういった人でも、つまり救われなかったのです。というのは光なのです。光に浴することができなかったのです。ところが私が出て、霊界が明るくなり、それからまた光浴することができたために救われたわけです。だから理屈は簡単なのです。つまり罪穢れにより・・・しかしああいう神様が罪穢れというのはおかしいですが、だいたいキリストが十字架にかかったというのも、前の世に非常に大きな罪をしたその犠牲になっての贖罪です。そこで十字架にかかったわけなのです。それだけではすっかり救われないのです。そこで長い間苦しんでいたのが、光に会うとその罪である曇りが溶け、消えるのです。それで救われるのです。だからとても光を憧れているのです。それともう一つは、今度罪を消されないと永遠に残るのです。それは軽い罪は昼間になると消えますが、しかし軽い罪の人はほとんどないので、みんな重い罪の人です。ちょうどあなた方が浄霊して、いくらでも毒があるようなもので、チットやソッとのものではないのです。
重い罪の人は永遠に消えないのです。いまのうちに早く光に浴して助からなければならないというので、あせって急いでいるわけです。というのは、霊界がドンドン昼間になりつつあるからです。だからそれを知った人は良いが、知らない人は実にかわいそうなものです。それでおもしろいのは、この次に読ませますが、いろいろな龍神の中で「自分は破壊の役だからして、それを一生懸命やる」というのです。これは破壊といったところで、悪ではないのです。
つまり掃除です。掃除というのが破壊なのです。
悪いものはブチ壊して片づけてしまうというわけです。
大掃除の時に壊れかかった物や役に立たない物はブチ壊してハキダメに捨ててしまう、という役の龍神があるのです。
自分は破壊の役の龍神だから、それを一生懸命にやるということがありますが、そうしてみると、大いに破壊の時も来るわけです。どういうふうにして破壊するかということは神秘です。
【御講話篇12 P320】