気管支喘息が奇跡的に快方に向かった話 ― 滝行にもすがった娘が救われるまで
喘息
これは薬毒が肺の外郭付近に固結したものが浄化されて肺へ浸入する場合、肺から相当間隔のある為と痰が濃厚の為と、肺膜が厚い為とで容易でないので、肺の方から吸引し様と呼吸を大きく強くする。これが喘息であって、発作も又強い咳もその為である。この証拠には痰が出ると一時楽になるにみて明らかである。又肺炎の予後喘息も軽快になるのは、痰が多く排泄されるからで、これも肺炎の特徴である。
そうして喘息の発作は非常に苦しいもので、今にも息が絶えそうなので、一時的でも楽になりたいと注射をする為、それが中毒となり、最初一週間に一回位で済んだものが、段々増えてしまいには一日数回或は数十回に及ぶ者さえある。こうなると死の一歩手前に来た訳で医療はどうしようもないが、浄霊によれば容易に全治するのである。
(一一・三七)
熊本県 N・M さんの体験(気管支喘息)
19歳の時、突然気管支喘息にかかる。初めは薬品と注射に頼り、次は灸を1年ばかり続けたが、大した効果はなかった。灸で焼いてもらった翌日からかえって苦しみが起こることもあった。
毎日元気で働ける人を見ては「なんと情ない体だろう」とうらやましく、「どうしてでも元の姿になりたい」とあせる日々。そんな中で「神信心の道に入れば必ず元気になる」と聞かされ、今度は不動様へおすがりする気持ちになった。
真冬の一番寒い寒中に、山の中にある大きな滝場へ通い始める。滝はとても冷たく、話にならないほどだったという。それでも1日に3、4回も打たれ、「ナムアミダブツ」の一点張りで唱え続けた。冷たい滝に打たれながら、身がゾッとするような日々。しかしそれだけ必死におすがりしても、とうとう救われることはなく、顔は腫れ塞がり、実につらい難行をしただけに終わってしまった。今思えば、自力の信仰で随分と苦労を重ねたことになる。
その後も、天理教へ、天台宗へと恥ずかしいほど迷い歩く。「あなたのは随分しつこい生霊・死霊が憑いているから、より以上に神様のお手伝いをしなければ」と言われるばかりで、どうしてもお蔭は頂けなかった。
もう仕方がないと思い、最後の手段として咽喉の切開手術を受ける。術後6か月ほどは風邪をひいても喘息が起こらず「これで元の身体になった」と喜んでいたが、やがてまた発作が始まり、「もう死ぬより外に道はない」とまで思い詰めるようになった。家族の者も心配する日々だった。
そんな矢先、Kさんという人が「お守を頂いたら確かによくなる」と勧めてくれた。しかし、今まであれやこれや良いと聞いたことは全てやってきた身。どうしても信じる気になれなかった。
ところが、そのKさんが父と友達という縁で度々遊びに来て、「自分も病気がお守のおかげで良くなった。もう一度だけだまされてみては」と熱心に勧めてくれる。その言葉に心を動かされ、昭和25年3月にお道に入ることになる。
浄霊を受け始めても「これで病気が治る訳はない」と疑いながらだった。10日目には苦しみが起こり、I先生から「御浄化だから喜びなさい」と言われても、喜ぶどころか寝ても起きても居られぬ苦しみで、「また騙されたのだろう」と何度も考えたという。それでも薬と注射をやめ、半信半疑のまま毎日浄霊を受け続けた。
3か月ほど経った頃、いつ治ったのか分からないほど自然に快方へ向かっていた。その頃から中教会長先生のお話を月に一度聞くようになり、初めてお守様を頂く気持ちになって教修を受ける。「一年もしたら立派に元気になりましょう」と言われたその言葉を楽しみに、月日の経つのを指折り数えて過ごした。
けれども、待ちに待った一年はたちまち過ぎたものの、御浄化は相変わらずだった。その間も不平不満ばかりを申し、神様に不足をこぼしてばかりだったという。先生がおいでくださる度ごとに、自分の罪の深さ、曇りの多さは分からず、ただ不足を口にしていた日々だった。
その後、以前は行けなかった場所へも出かけられるようになり、元気に日々を過ごせるようになった。あれほど苦しんだ喘息から解放され、今はなんの心配もなく過ごしている。当時を顧みれば、恐ろしくも闇路を杖なく彷徨っていたようなものだった、と振り返っている。
(昭和二七年六月一五日)
H3112
私の一言
このお話を読んで、まず胸に迫るのは、この方が浄霊に辿り着くまでに歩まれた道のりの長さです。薬と注射、灸、そして真冬の滝行。天理教、天台宗と、恥ずかしいほど迷い歩いたと、ご自身で書いておられます。
天理教も天台宗も、決して間違った教えではありません。どちらも長い歴史を持つ、素晴らしい宗教です。この方も、いい加減な気持ちですがったわけではないでしょう。真冬の滝に一日三度も四度も打たれ、顔が腫れ塞がるまで唱え続けたのですから、その必死さは並大抵のものではなかったはずです。
それでも、治らなかった。
その方が、浄霊によって快方に向かわれた。この事実の重みを、私は静かに受け止めたいと思います。どれほど真剣に祈っても届かなかったものが、浄霊によって癒されていく――そこに、師がお示しくださった御力の凄さがあるのだと思います。
そしてもう一つ、深く考えさせられたことがあります。それは、この方の回復が、決してすぐには訪れなかったということです。
「一年もしたら立派に元気になりましょう」と言われ、その日を指折り数えて待っておられた。けれども待ちに待った一年が過ぎても、御浄化は相変わらずだった。その間、不平不満ばかりを申し、神様に不足をこぼしてばかりだったと、正直に綴っておられます。
私たちはつい、ご守護をいただけば、すぐに良くなるものだと思ってしまいます。けれども、長い年月をかけて溜まってきたものが、一日で消えるはずはないのですね。その方にとって必要な時間というものがあり、徐々に、徐々に整えられていく。時間がかかることは、決してご守護がないということではないのですね。
そしてもう一つ、この記録の行間に、私は先生方のお姿を見る思いがいたします。
「御浄化だから喜びなさい」――苦しみの最中にあるご本人には、なかなか受け取れない言葉だったでしょう。それでもI先生は、そう声をかけ続けてくださいました。中教会長先生は、月に一度のお話の中で、道筋を示してくださいました。ご本人が不平不満ばかりを口にしていたその一年間も、先生方は変わらずおいでくださっていたのです。
ご本人の言葉には、そのことは多く書かれていません。けれども、疑いながら、こぼしながら、それでもこの方が浄霊から離れずにいられたのは、そばで見守り、根気強く導いてくださった方々があったからではないでしょうか。
お世話をさせていただく立場にあるものにとって、これは静かな戒めでもあります。すぐに結果が出ないとき、相手が不平を口にされるとき、こちらの心が先に折れてしまいそうになることがあります。
けれど、必要な時間はその方ごとに違うのですから、こちらが焦って何かを急がせるものではないのですね。ただ、そばに居続けること。その積み重ねが、後になって振り返ったときに「あの時があったから」と思っていただけるものになるのだと思います。
このお話は、癒される側にとっても、支える側にとっても、たくさんの学びを与えてくれるお話です。
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