「御教え通りの御神業とは何か」を求めて繋がる

地上天国祭おめでとうございます。

私は、この意義ある祭典に先立ちまして、メシヤ様へご奉告のため神山へご参拝に上がりました。また、本日は、昭和6年6月15日に千葉県鋸山で天照皇大御神様をお迎えし日枝神社へご鎮座申し上げたという由来に基づきまして、代表者に日枝神社へご参拝していただいています。

そしてここへ全国の代表の方々にお集まりいただいております。また、北海道、九州それぞれの地区で地上天国祭を執り行っていただいております。

今年は特に、一段とメシヤ様から我々の進めようとしている御神業を急(せ)かされている、と思わされる出来事が度重なりました。そこで改めて地上天国祭を期してどのように御神業を進めさせていただくのか、ということを考えた時に、原点として戻っておかなければならないことは、メシヤ様が昭和6年6月15日に鋸山へ登られて天照皇大御神様をお迎えされましたが、それに至る経緯の緒言は昭和元年の啓示にあるということです。

『昭和元年のある日、爽快感に包まれて口を衝(つ)いて出た言葉は「紙と筆を用意せよ」ということであった』とご説明いただいています。皆さんご承知の通りです。宇宙が創造され地球が創造され、人類が生まれて今日に至る経過、そして未来図を主神様からご啓示されました。

その内容は余りにも壮大で、深遠なものでありましたので、慎重であられたメシヤ様は一つひとつ検証せざるを得なかった訳です。その検証作業に5年余を懸けられております。そして昭和6年の春に、啓示内容に確信を持たれると共に、御自らが救世主の任を担わなければ『何時までたっても夜昼転換は執り行なわれない』という思いに至り、ご決心を固められます。

決心されたからこそ、鋸山へ向かうようにご啓示を受けられたのです。ということは、メシヤ様がご決心をされて鋸山へ登られたからこそ、夜昼転換がなされたのです。一人の男性、岡田茂吉という御方の決心があったからこそ夜昼転換があったのです。それを受けて、私達も決心をしてメシヤ様とご神縁をいただいたのです。今月のメシヤ講座で、各地で確認させていただいた通りです。

しかしながら、皆様はメシヤ教にご縁をいただく前に色々なことを経験されながら、「本来の、御教え通りの御神業とは何か」ということを求めるに至って、こうしてメシヤ教に繋がってきた訳であります。

メシヤ様の御力の恩恵に浴し御守護の生活

振り返って、メシヤ教を立教するに当たり、平成11年に『「お光がなくとも、宗教宗派を超えて浄霊力を授けてゆくべきである』という思いから、メシヤ様へお祈りを捧げていた時に、『もう既に「御守り(おひかり)」というものがなくても浄霊力を授けるように言い渡してある』ということを知らされて、それではその御教えに沿って実践を積み上げてゆこう、と決心して上梓したのが『浄霊』という冊子です。

今日まで『メシヤ様へ想念が繋がれば如何なる人にも浄霊力が授かる』という道を開いてまいりました。非常に成果をいただいた訳ですが、平成16年には「明主様」のご尊称を「メシヤ様」に変更するようにご啓示をいただきました。それまでも、メシヤ様というご神格の自覚が不可欠であるという認識はあったのですが、日常の御神業の折や祭典時には「明主様」とお呼び申し上げてお取り次ぎしておりました。

しかし、それでは本来のご神格には達しない、ということで『平成16年の2月4日から「メシヤ様」と尊称を改めてゆくように』とご啓示をいただきましたので、その徹底を図ってきました。そして「メシヤ様」と尊称するようになってからというもの、一段と大きな変化を見てきたのであります。中でも浄霊力は、皆様方により強く伝授することができるようになりました。驚くばかりの出来事で、しかも大変有り難いことです。

しかも、皆様方もその恩恵に浴し、大きな御守護をいただいてまいりました。

本日新しい顔ぶれの方々もおいでになっています。最近顕著な御守護をいただかれた3人の方にここで報告していただきたい、と思います。ご本人には「ここで報告してくれ」とは告げてありません。告げると、原稿を書き、添削を・・・ということになり、ありのままのお話になり辛いところがあります。

それで、せっかく大きな御守護をいただいておりますので、ここで報告していただきたいと思います。

平成19年6月メシヤ講座より

 

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