猿田彦命様は天照皇大御神様である

猿田彦命様という御方は日本では道開きの神とされていて、本当はどのような御存在なのか分からずに御神事を通じて思いもよらないお導きで辿り着かせて頂きました。猿田彦命様は太陽神、天照皇大御神様であられるという事です。御神事の信憑性があるのかにつきましては歴史を辿って研鑽させていただく事で、真実が見えて参ります。まず、『サルタ彦大神と竜』と題された書籍では、日本において初めの人格神として、幸の神信仰があり、日本の最高神とされ、幸の神を正しく知るにはまず出雲古代を詳しくしらないと、幸の神を理解することが不可能であるとされ、その背後には出雲の歴史が描かれております。弥生時代から続く「幸の神信仰」において、男神は「久那斗(くなと)の大神」、女神は「幸姫命」と呼ばれ、猿田彦大神はその息子神とされています。鳥取県伯伎地方では男神が久那斗大神から猿田彦大神、女神が天鈿女に変化していると伝えられております。

「クナト」の語源に関しては、出雲旧家の伝承によれば、出雲族は約3500年前に鼻の長い動物(象)と竜蛇のいる国から移動し、同行した種族の子孫が後に縄文人となったとされます。また、古代ドラビダ族の信仰が久那斗大神信仰に変容し、紀元前約2500年前のインダス文明もドラビダ族によって築かれたとされています。クナト神は当教会の御神体であり、縄文時代から崇拝された環状列石の形を持つ尊い御神体です。また、大分県豊後大野市に伝わる神楽で猿田彦命様はクナト神で五色人を創造したと言われております。そして縄文人は大和民族ということになります。

また記紀神話において、久那斗大神は伊弉諾尊のモデルとされ、猿田彦命様が書籍『神秘の扉』でお出ましになられた神社としては、鹿島・香取神宮、阿麻氐留神社、磐船神社、天香山神社、日枝神社他などが挙げられますが、鹿島神宮の社伝によれば武甕槌神は天香山付近の誕生とされ、奈良の天香山神社の御祭神であります。メシヤ様は『土地の名をつける神はよくある』、『神には種々の御役目あり、つまり職業である』と仰せになられておられます。また、幸の神信仰において猿田彦大神が久那斗大神の息子であることから、久那斗大神=伊弉諾尊-天照皇大御神という系譜が成り立ちます。

更に世界を遡らせて頂きますと一説ではエジプトのファラオにも繋がり、モーセがアクエアテンのモデルとも言われ、クナト神にも繋がるようです。

そうなりますと、世界の神に繋がります。

更なる探究から、クナト大神一族がスサノヲに攻められ、天孫族に敗れ政権を失ったという歴史が浮かび上がります。これは御教えにもある通りです。他にも多岐にわたる研鑽を行いました結果、以下のような書物や情報で明らかになります。

  • 先代旧事本紀に書かれている『天照国照彦天火明櫛玉饒速日命』は猿田彦命様であり、こちらの内容は書籍で書かれておりますが、神社にて証がありました。
  • 三輪の大明神縁起では、「天上の天照は御降臨された後、二箇所に鎮座された」とあり、これが三輪山と伊勢を指すとされています。
  • 世阿弥の能において、伊勢に居られる神様も私(三輪)の分身であると語られています。大物主大神=天照大御神となります。
  • 高良玉垂宮神秘書では、彦火々出見尊は記紀では「山幸彦」「猿田彦大神」や、「五十猛」「白髭大明神」、「塩土老翁」と呼ばれていること。
  • 白髭大明神縁起絵巻(詞書第三段)には、「吾は是、天下の工君なれは 国底立神と名つく」と書かれ、猿田彦命は国常立尊と同神と言われている。
  • 正統竹内文書では猿田彦命がキリストであるとも伝えられているようです。

さらに真言密教を通じて、大日如来が三輪山の大物主大神や伊勢の天照大御神と同体であるとする三輪神道が唱えられ、三輪山が古来から信仰の対象であったことが確認されています。また、天武天皇の時代には縄文時代から続く多くの神々が封印されたといわれておりますし、「古事記」「日本書記」によれば、ヤマト王権は出雲族、すなわち物部氏や蝦夷を従わせ、権力を確立した神話が描かれているようです。

また、猿田彦命様は猿とは無関係であり、京都御所の鬼門を守護する天台宗の神猿にされた歴史があるそうで、猿は動物、人以下に落とされたとも取れ、本来は「サルタ」であり、「出っ張り」を意味し、ドラビダ語からきています。縄文時代の日本は大半このドラビダ族であったそうです。

また、「地上天国」38号、昭和27年7月25日発行の多賀さんの霊視の中で、第四十四番目の巳等刀麻知(みとまち)神社(現在は、事任八幡宮)の祭神が猿田彦命の妻とされており、この妻神様は己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)様で、夫神が興台産命(こことむすびのみこと)で猿田彦命様ということになります。

研鑽させていただきますと、興台産命は天香山に鎮座とあり、書籍でも天香山神社に猿田彦命様がお出ましになられました。

天香山神社の御祭神は櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)であり、武甕槌神に通じますし、書籍では鹿島神宮に猿田彦命様がお出ましになられましたので、興台産命=猿田彦命=武甕槌神になります。興台産命が猿田彦命というのは、いくら検索しても発見されず、多賀さんの霊視を研鑽させていただいて初めて判明いたしました。このように、書籍と多賀さんの霊視、歴史の研鑽の結果一つに繋がります。

また、日枝神社にはメシヤ様が天照皇大御神様を御鎮座されましたが、御神事にて猿田彦命様のお出ましを拝させて頂きました。これは紛れもない真実でございます。

現在は検索を行えば豊富な情報が入手可能であり、研究者や歴史に詳しい方々が執筆した資料を閲覧することができます。このような情報に触れさせていただくことで、浅学ながら知識を深めることができることに感謝しております。現在ではヤマト王権が権力を築いていった歴史が記紀神話として描かれていますので、系図が複雑になっているため、理解が難しい面もございますが、書籍を通じてお読みいただければ、より簡潔にご理解いただけるでしょう。

歴史と書籍を照らしますと、様々な難解点がございますが重要なのは、天照皇大御神様の明確な御存在を判らせて頂くというこの一点であります。

『現代人の考え方の最も間違っている点は、事実よりも理屈の方を重視する傾向である。之が妨害となるので此点に目覚め白紙となって充分検討する事を切望してやまないのである。』とメシヤ様のお言葉がございますので、更に歴史を研鑽させていただいて参りたいと思います。

猿田彦命様が天照皇大御神様であるという事実が、何故これまで知れなかったのかについては、今という時期でなければいけなかったことが拝察されます。御神事を通じて初めて天照皇大御神様を明確にお迎えさせていただくことが重要だった、また隠され抹殺された真実の歴史を現界の体現として書籍を通じて正し、明かさなければいけない重大使命があったと切に感じております。これは御教えにもございませんし、これは主神様の御力でしか、なし得ない事で、昭和の時代に一度天照皇大御神様を御隠ししてしまい、メシヤ教の御神事にて2017年6月15日に誠で改めてお迎え申し上げさせて頂きましたが、また二度と押し込め、御隠しさせてはいけない事を肝に銘じて参りたいと思います。

そして、「今度観音様のことが判然とした時が光明世界である」とございますので、判然という意味は、「はっきりとよくわかること」ですので、猿田彦命様の御存在を広く知らしめ、天照皇大御神様の本当の御存在を認識させていただく事により、世界の神へ繋がり、世界の扉が開かれ、世界平和に繋がり、ミロクの世に向けて更なる御光と御力を賜わらせて頂けることと確信しております。

三重県の椿大神社の分社がアメリカにございましたが、2023年3月にはその御神体は現在、カナダの神明スピリチュアルセンターに移されたとのことです。日本とアメリカは霊と体、経と緯でそこから本当の文明が生まれ、救世教の真髄が分かるとありますから、これから未来の光明世界に繋がることを切に願っております。

また、どうか沢山の方々が書籍と歴史研鑽して照らし合わせて頂いて、ご理解していただける事を願わずにはおれません。