感謝が膨らみ継続することが全ての基礎

大阪府松原市 田中美栄

御神体の御奉斎から人生に転機

大阪から参りました田中美栄と申します。

メシヤ教本部御神体御奉斎十周年おめでとうございます。

以前、体験記にも書かせていただきました、その後の学びを報告させていただきます。

メシヤ教と御縁をいただき御神体を御奉斎させていただき、卵巣膿腫のために医者からは子宝の可能性は“低い”と宣告されていましたが、第一子を授かることが許されました。

メシヤ教に御縁をいただくまでは食品は市販のものでしたし、お米は無農薬でしたが高額で経済的にも負担が大きく、卵巣の持病もありましたが浄霊の急所も分からないまま、何時また身体が不調になるかと不安な毎日でありました。

それからは、先生より自然食品、自然農法産のお米やお茶を教えていただいて、極力添加物を排除した食品を心掛けるようになりました。

身体の方は出産を機に痛みが無くなりました。

そして、三年後には次男を授かりました。その三年間は、仕事をしながら子育てをしておりまして、授けていただいたにも拘(かかわ)らず、保育所に預けて仕事、家事とに精一杯の日々を過ごしておりました。

“何か、今やらなければならないことがある・・・” “このままではいけない・・・”と思うところがありまして仕事を辞め、次男が生まれてからは専業主婦となりました。

しかし、辞めた途端に何をして良いか分からず、毎日力が抜けたような感じがしておりました。

“やっと授かった子供・・・私は何をしているんだろう・・・私は何をすべきなのだろう”と、そんな事ばかりを考えていました。現実にはできることとできないことがあります。生まれたばかりの次男、幼稚園に通い出した長男、家に籠もることが多い自分・・・。

気持が先走り、出口のないトンネルをあてどもなく進んでいるような気持でしたので、何度も何度も先生からご指導いただきました。

錯覚に気付く

結局、私自身の“依存性”“幼児性”に原因があると気付いたのでした。仕事を理由に、御教え拝読、浄霊が疎かになっていたことも事実です。

“やらなければいけないことは分かっていて、専業主婦になり行動しているつもりでも、まだ分かっていなかった”過去の自分は、仕事をしている事で“自分は頑張っている”と錯覚していたのです。慢心していたとも思います。そこまで気付くには、私自身大変骨が折れました。

自分で自分に気が付かなければ、本当の意味で『人格向上』になりません。

そのように気付いた時からは何か吹っ切れたような気持ちになりました。そして、その時に本当の子育てということを学ばせていただきました。

また、“唯一今、私ができることは”と考えました。それは、月一度の月次祭の準備です。お仕事をしておられる方、高齢の方、浄化をいただかれている方、小さいお子さんが学校に通われている方、皆さんはこの日のために頑張って来られます。私は、心地良く居てくださるように・・・と掃除をいたします。

月次祭の場としてとして我が家を提供させていただけるのも大変有り難いことなんだ・・・私に許された御用だ・・・と思うようになりまして、その日を軸に何事も考えて行くようになりました。

そのようにさせていただきますと、日々ブレそうな現実を月次祭でリセットしていただけるような感じになり、また次の日から清々しい気分で人格向上を目指して行こうという意欲が出ます。

友人にいただいた御守護で更なる確信

そして、日々御教え拝読、浄霊を重ねていきますと、新たな出会いや御縁、やるべきことへの方向性が見えてきます。そうした学びの間に、一度離れてしまっていたYさんから連絡が来るようになりました。

以前にメシヤ教に御縁をいただかれたのですが、私の学びが足りず疎遠になっており、連絡があったのは三年ぶりくらいだったでしょうか。その時は、もうそれは暗い声でして、後で聞いた話ではYさんは最後に私へ電話して、死を覚悟していたというのでした。

そんなことがありまして、それからまたお世話させていただくことになりました。時間のある時は、夕飯の支度をしてから子供を車に乗せて定期的に御浄霊に行かせていただくようになりました。

それから少しずつ好転して行き、私もYさんも身を持って体験したことも重なり、二ヶ月後には大きな御守護をいただき元気になりました。

初めはどうなることかと、幼友達ですので尚更心配しておりましたが、だんだん周りの環境も変わり始めました。Yさん自身も前向きな気持ちになり、神様中心の生活をさせていただくことで、色々なことがクリアされていく変化を見て、目で見えなくても神様の御力を更に確信いたしました。

再度繋がりお世話させていただくまでは、よくお酒を飲みに行ったりして家を空けることが多かったようですが、今では「全く関心が無くなった」と言っていました。

そして、現在忙しい仕事の中、月次祭を軸に頑張って来られます。

こうして考えますと、私は御神体を申し込ませていただき子宝を許されました。それが、私にとってメシヤ教の信仰における原点であり、その感謝が膨らみ、継続されることが必要だと思います。メシヤ様の手足となって御神業を担わせていただく時に、絶えず初心に置くことが大切だということが、自分自身の人格向上の基礎にしっかりと根付いていなければならないと思いました。

現在私は、新たな御神業を許され、スケジュールも御神業中心としますと予定が上手く枠にはまっていくようになり、毎日遣り甲斐、生き甲斐が持てるようになりました。

まだまだではありますが、御神体をご奉斎させていただいてから七年目になりますが、少しでも人格向上を目指して一歩一歩焦らず日々努力し、小さな良き種を蒔いて神様のお役に立てますように頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

 

【代表先生のお話し】

田中さんという方はホームページを通して初めて御神体を申し込んだ方です。私を最初から支えてくださった方々の御神体御奉斎が終了した後に、全く私という人物を知らないでホームページだけで情報を得て「メシヤ講座を読んで、非常に解り易いので連絡しました。」というメールから、すぐ御神体御奉斎の申し込みをされた方です。その時の様子は卵巣膿腫という非常に重い病気を抱えておられ、医者からは「妊娠はあきらめるように」と言われていた中で、御神体を申し込むために奉納金を納めた月に懐妊を許された訳です。

そして、報告では「人格向上」ということを柱にして報告してくださいました。田中さんは神慈秀明会から別の独立教団を経て、そしてメシヤ教に繋がってこられました。それとホームページを見て繋がってこられたということは、メシヤ様を教祖に仰ぐ教団に関する情報を数多く持っておられる訳です。

それ故に、御神体御奉斎を通して大変な御守護をいただいたのですが、心の面がしっかりと定まるためには、氾濫する情報を自分なりに精査しながら自分の中に信念体系を築いてゆくということが課題としてあった訳です。

それから同時に、赤裸々に田中さんが語ってくださったように、自分が幼少のころからずーと育った過程で身に付いたものと身に付いていないものがあって、御教えから得る理想像と現実の自分とのギャップに随分と悩んでおられました。

自らによって『最後の審判』を選択する

それで私が一貫してずーっと話したことは、「祈りの栞に寄せて」という本の中の「教祖とは」というところを主軸にした内容です。面談の度に、その話を重ねてまいりました。「教祖とは」というところを読み返していただくと解ると思うのですが、教祖になる人は教祖になるまでに大変な苦労をされているのです。この苦労をする中で何を身に付けるかというと、「人を救う言葉」を身に付けるのです。

「どのような人にも救いの言葉をかけて上げる」という、その言葉を身に付けるために苦労します。そして、もう一方ではご啓示が降りた瞬間に、人を救う力が授けられます。この力と言葉によって教祖というのは様々な人を救ってゆきます。

そこで重要なことは、教祖という方が苦労の中で「人を救う言葉を身に付ける」とは何かというと、「感謝を絶対に忘れない」ということなのです。自分が病気になった時に励ましてくださったり、慰めてくださったりした、その時の相手の言葉を全く忘れない人しか教祖になれない訳です。

“喉元過ぎれば熱さ忘れる”というような人は教祖にはなれないのです。そういう意味では、教祖に続く布教師もそういう人でないと本物の布教師にはなれない訳です。

ですから田中さんにも「自分がいただいた御守護というものを絶対に忘れない」という心をまずしっかりと持っていただきたい、と強く取り次いだのです。御神体を申し込んだ時に医師が「不可能だ」と言った子宝を許された、「このことを絶対に忘れないで、感謝が膨らんでいけば、人生というのは後々非常に豊かなものになるんですよ」ということを私は繰り返しお話しさせていただきました。

平成21年5月メシヤ講座より

 

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