御教え集26号 ⑥愛のある人の側に行くと温かい感じがする

人間でも、つめたい感じの人と温かい感じの人がありますが、温かい感じのする人のほうが火素があるわけです。だからそういう人は愛がある人です。それで愛というものは心臓から出るもので、これが愛の熱です。だから恋愛もやっぱり心臓ですが、恋愛のシンボルはハート形になってますが、しかしこれは限られた熱です。恋してる人に対する熱で、一般人にはゆかないのです。つまり利己的の熱だから問題にはならないが、そうでなく、多くの人を愛するという愛のある人の側に行くと温かい感じがするということは、その人に火素があるからです。だから冷害で不作ということは、その土地の人に愛がないからです。つまり人はどんなことになっても、オレさえ良ければという了簡の人が非常に多いわけです。それで東北の人は、気候の関係のほかに、そういう人が多いわけです。(中略)

そういうような具合で、人間の愛の熱というものは非常に影響するものです。これはそこの家庭に入っても分かります。玄関に入ってゆくと、主人公に愛のある家だと、なんとなく感じがよいですが、入って行ってつめたいというのは・・・つめたいと実にいやなもので、それがありありと分かりますが・・・それはやっぱり主人にあるものです。そういうことが農作物にまで非常に影響するのです。だから信者になった人の作物がよくできるということは、無肥料のためと、もう一つは主人公の愛です。それで畦一つでチャンと区切っていて、隣の田とはまるで違うそうですが、それはそういうわけです。霊界が違うわけです。

 

【御講話篇11 P104】

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