現界に於ける御奉仕は霊界に大きな意味をもつ

よく神憑りを浄霊する場合、誰でも疑いたくなるもので、それも間違ってはいないが、これに就いて心得べきことは、本物と贋物とを見別ける能力である。これ等も御神書をよく読んで叡智を働かせれば大体は分かるものであるが、左記の霊は本物であって、現在の霊界の有様をよく知らされているから、大いに参考になると思う。というのは現界に於ける御奉仕やその他の事に対して順序や行り方をハッキリ云っており、道理に外れた事は許されない事である。従って信者の想念と信仰の正否によって、生きてる人間が救われるばかりか、霊界に於ける祖先の何百何千人の霊が救われるのであるから、大いに戒慎すべきである。

岡山県 S.T

明主様、入信この方身に余る御守護の数々を賜りまして誠に有難うございます。又この度祖霊から御奉仕金がどんなに大切であるかを知らされ、家族一同有難さにむせびました。拙い文ながら御報告させていただきます。

一一月一〇日新見支部の月並祭にお参りさせて頂き、数々の御教えのお取次頂き又、再教修御礼につきまして色々とお話を承りました。その夜家の者に月並祭の様子を色々と話して居りました処、姪E(二五歳)が参りまして「少し身体がだるい」と申しますので、御浄霊させていただきましたところ、主人(K)の弟Yと言う三〇年前二五歳で亡くなりました霊が憑りました。この姪にはよくお祖母さんの霊が憑ることがありましたが、「又嘘かと思われてはいけないので自分が来た」と申して次の如き話を致しました。

「霊界は今大変なものです。それは皆が今話していたような、今日教会で聞いた位の事ではない。霊界は日増しに神様の御言葉がきびしくなって来ました。あなた方は早く最後の審判の日が来ればいいなどと思っているけれども、とんでもないことです。その日が来たら皆が神様の御許しを戴いて残される身魂かどうか考えてみなさい。今のような事では救われようとも思えない。もっともっと信仰を厚くしなければ駄目だ。自分は死んで三〇年になるけれど未だに病気で苦しんでいる。お守りを戴いた人々が本当にうらやましい。自分達の方から話かけることすら出来ないようなずっと上に住んでいられる」と言って帰りました。しっかり信仰をさせて頂こうと、色々と話しておりました処、今度は姪が「腰が痛い」と申しますので御浄霊させて頂きましたところ、先の霊が又出まして「霊界へ帰ってI(私の娘で昭和二五年に病気で死亡、入信致しておりました)に逢って頼まれたから」と言い、一〇分間の猶予を頂いたからと息せききって話し出しました。「家のものの想念が切り替ったようだからこのことを伝えて頂きたい。私はお光を頂き死ぬまで薬を入れなかった為、これまでの罪は総て許され今は楽しい日を送っている。(こんなにきれいになったのは薬を入れなかったからだと言い)今、家の人達の想念が切り替わったのでお願いしたい。今日教会で話された再教修の御礼五名で六五〇〇円をはやく教会の方に納めて戴きたい。そのお金によって自分は布教師になれる。現界では三人の子供をかかえ、到底御神業のお手伝いが出来ぬ立場にあったのに本当に自分は死んでよかった。死んではじめて幸福になった。今、霊界は日増しに神様のお言葉がきつくなっている。お守りを頂いていない人々の顔は気の毒で見ていることが出来ない。自分の主人(病気で突然亡くなった)も見る事はあるけれども、どんなにしても自分と同じ位置になるまでには一〇〇〇年かかるでしょう。この再教修御礼を一日も早く修めて頂き、布教師の資格を頂いて、霊界の人々を救わせて戴きたい」と申して帰りました。内心主人がすなおにこの金を出して呉れるかと心配もし、お念じもしてました折、このような祖霊よりのお知らせがあり主人も翌朝早く六五〇〇円を三宝に載せ、御神前にお供えした後「早く教会に持っていくように」と申して呉れました。私のその時のよろこびは如何ばかりでございましたでしょうか。主人はよろこんで気持ちよくお金を出して呉れ、その上自分の娘は霊界で布教師になり、神様の御用をさせて頂く事が出来又、私達も御建設の幾分のお役に立たせて戴けることを思い、ただ有難く早速教会に持って参りました。

それから、二、三日たった一四日の夜、又姪が参りましたので浄霊させて頂きましたところ、娘のIが憑りました。

「再教修御礼はもう中教会まで行き、明日から布教に出ることが出来ます。神様よりお許しを戴いて御礼に参りました。」と言って一時間半、頭を少しもあげず涙を流してよろこびました。「今日こうして私が出て来ますにつきましては先祖が列をつくって送って下さいました。本当に有難うございました」と言って帰って行きました。日頃、順序ということを教えられていますが、神様に私のようなものの処へでもきちんと御礼に来させられるのかと非常に感激しました。私達の御奉仕するお金が、このような大きな意味をもつことを思います時、あくまでも深い神様の御仕組を考えまして、ただ有難く、ますます信仰をかたくすることを心に誓いました。本当に今では近所の人もうらやむ様な家庭天国となり、日々楽しい生活をさせて戴いております。このような限りなき明主様の御高恩を感謝し、厚く厚く御礼申し上げます。そして一人でも多くの人々をお救いする御用に立たせて頂く覚悟でございます。

明主様、誠に有難うございました。

【著述篇補巻3 霊界の現在 P176、】

【著述篇11 P433 】

【『栄光』百九十九号、昭和二十八年三月十一日】

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