霊性の向上

「霊性の向上」に取り組むためには、まず霊的知識の習得が必要です。そしてそれを拠り所にして人々を救い、世のため人のために奉仕してゆき、徳を積みます。3つ目には人格の向上に努める、ということが不可欠です。そこで、霊的知識を身につけてゆく上で、最も知っておかなければならない事をこれから少しずつ提示してまいります。根幹になる事を知っておかなければ、霊的な話は興味本位な話で終始してしまいます。ワイドショ-的な霊的知識になってしまいます。これでは救いに繋がりません。

一読では判らないことでも、幾度か読み返せば判るようになります。しっかりと読んでください。また、私達現代人は、特殊な人を除いて次に出てくる土匪(どひ)民族を含めた四種族の混血です。当然各種族の影響を受けています。それが精神の癖となって私達の上に影を落としているところもあります。

シミのように付いている精神の癖を取り除いていく事は中々大変な作業ですが、シミの源を知らなくては取り除くこともできません。まず「知る」ということが、自分自身の救いにも繋がるのです。これから御教えについて調査したい点もありますので、その結果は次回から順次お話致します。

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自らの心・言・行を静かに振り返る

さて、それでは自分自身はそうした事に振り回されなかったか、ということを顧みておかなくてはいけません。マスコミに汚染されては来なかったか、対極を見失う事はなかったか、ということです。これが第一ですね。

次に、日常生活における心・言・行はどうであったのか、静かに振り返ることが大切です。私達が目指している「霊性の向上」という取り組みを支えているのは、

「感謝の生活」
「積徳の生活」
「メシヤ様の精神を現代に求める生活」

です。

「メシヤ様の精神」は「利他愛」、「合理性」、「即時性」に集約されます。ご自身の日常生活を、それらを鑑(かがみ)として照らしてみてどうだったのか振り返る機会にしていただければ幸甚です。そうして、よく出来たところは、自分を褒めてあげ、至らぬ点は改める課題として、祭典を迎えていただきたいと願っております。

そうしたことが、根本教義を学び、それを基に身辺を視て判釈(はんじゃく)を得て、自分の生き方を決める、という『教・論・律』に生きているということなのです。

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私達はどういう生活をしていかなくてはいけないか、と言いますと、どこまでも霊性を高くしていかないと思うようにできません。欠かせない事は積徳ですね。そして、感謝の生活ですね。霊性が高くないと、人をお救いすること、問題を解決すること、はできにくいですね。

霊性の向上を伴わないと、問題を解決しようとしても、反ってややこしくしてしまう人になりかねません。それでは困るわけです。しかし、大したことは言わないのだけれども、‘あの人が来てくれると、巧く片付く’という人もいます。霊性の高さなのですね。

そこを目指して行きたい訳です。来年はやろう、ということではなくて、今日ただ今から‘よし、取り組んで行こう’ということになっていただきたい、と願っております。

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