本来の使命に気付き、力強く進ませて頂く

皆さま大彌勒大御神様奉祝大祭、誠におめでとうございます。

この度、感謝奉告をさせていただきます結野です。どうぞよろしくお願いいたします。

ちょうど1年前の10月より本日発刊となりました、『神秘の扉』の製作の御用を昨年にありがたく頂戴しました。

霊視というお役を賜り、同じ頃に代表より神社仏閣への御神事の御供をとお声がけいただいた事が始まりでした。

御神事では、神社仏閣に実際出向き本殿にて代表が祝詞奏上されお光を届けられると霊視が始まります。

最初は霊視があると予想もしていなかったため、戸惑いばかりで、とにもかくにも目の前にある事象に対し必死に努めておりました。私はその拝させていただきました場面をただただ間違いなくもれなく代表へお伝えすることに徹し、霊視する際に私の固定観念が入らないようにするため、事前に御祭神や神社の歴史等を調べることはしないように仰せになられておりましたので、そのように進めておりました。

そしてこの頃は、代表の御供を重ねていく度、代表が御神事へ向かわれる際の歩くスピードや体現される早さを体感し私が代表より早くご案内できるようにと徹底的に御神事の道順を調べたり、常に頭を集中させて体的にも筋力をつけるために身体を鍛えたりしていました。

また、体には薬毒を一切いれないように注力し、自然食を基本とし、農薬、添加物や遺伝子組み換え食品、人工物は避け、毛染め剤も一切使わないように6年まえより努め、神様からのいただいたものに邪魔が入らないよう常に心がけておりました。

すると、ある朝、朝食用にキュウイを切っているとき男性のお声が左側から聞こえるような気がし、明らかに気を抜いて何も考えていなかった時でしたので不思議に思ったのですが、メッセージを伝えないと気がおさまらなかったので代表へお伝えしました。数日後また同じような現象があり、次はお風呂上りに髪の毛を乾かしているときでした。

この時は、同時に脳みそにきゅっとした痛みを感じました。

自力が入っていないタイミングでお言葉を拝聴するので、その度驚きと焦りを感じながら聴くことに集中し代表へお伝えするようにしておりました。

このように同時期にお言葉を拝聴するという事象も起こってきておりました。

また、図書館へ行き開いた雑誌の一部を代表へお伝えしないと気持ちがおさまらなくなったり、突然言葉が浮かんでは消えず代表へお伝えするまで言葉が頭から消えなかったりすることもあったので都度都度代表へお伝えすると、毎度絶妙なタイミングで、代表の直感と繋がって、次へ次へと御神業が進んでいく様には神様を感じずにはいられませんでした。

また、神社仏閣へ入ると“あ!ここは代表が以前(今世ではなく)いらした気がするといった自分だけど自分でないような感覚で感情が動くという不思議な現象も度々ありました。

年が明けて今年に入った頃から霊視をお伝えすると代表がなぜそういった場面なんだろう…?と仰せになられることがでてきました。

自分が拝させていただいた場面に対してどんな意味があったか予想もできず、というか予想する余裕もないため…代表の反応をみて私の想念が何かぶれていないかと不安になったこともありました。

ですが御神事を終える度、ひとつひとつその深い意味を代表がわかられていかれ、お聞きしその度感銘を受けていると、では次はこれ!といった神様からのご教導があり、ただただ前へ前へと必死に進ませていただいておりました。

振り返ってみると、この頃の御神事よりこの書籍をお出しする本当の意味が顕著に現れてきていたようでした。

そして3月頃から、伊藤さんが編集者としてこの書籍を編集してくださるようになりました。

わたしのつたない霊視した際のメモや文章を伊藤さんの豊かな語彙力でまとめあげて下さり、また御教えの拝読が不行き届きな私に霊視にまつわる様々な御教えについて話して下さいました。わたしには持ち合わせていない感覚、そして才があられメシヤ様をみられ前へ進めていかれる姿勢が決してぶれない伊藤さんと共に御用をさせていただけ本当に学びが多く感謝ばかりでした。

また、同時期より御神事の内容は非公開となりましたが、最終の御神事を終えた際この御神事の本当の意味がわかり書籍としてお出しするということがどれだけ尊いことなのか深い意味を知ることとなりました。この意味を含め書籍をお出しできたことを本当にうれしく思っております。

そしてこの御神事の中で神界と現界が共に進んでいるのだと印象的で感動した場面が、荒立神社の霊視で拝させていただいた場面の猿田彦命様の言動と代表の感情がリンクしていた場面。

そして鞍馬寺の御神事では門をくぐった瞬間、代表に会えてうれしい気持ちになり、義経堂では代表が心の中で祈られていたことに対する義経様からのお返事を拝聴された事。

また、中尊寺金色堂の御神事を代表が決められた日は義経堂が閉館しており、そのことで

時間の余裕ができたので、錦神社へいかせていただくことに繋がりその錦神社では、メシヤ教楳木代表のあたたかい愛情が扉を開けた瞬間から感じたこと。

また義経様が義経堂を閉館にして前世で大切な存在だった藤原泰衡であられるメシヤ教楳木代表がおられる錦神社へと代表を導かれた友情を感じた事。

どれもこれも大切な愛と想いを感じました。

全ての霊視は神社仏閣の本殿・摂社にて、そしてご本部の祭典時、自宅の朝夕拝時、すべて御神体様の前またはメシヤ様のお光の中での事象でしたので、メシヤ様の元だからこそこういう神聖なご教導があるのだと改めて感じております。また代表ご自身も最初、私の霊視や拝聴するお言葉に対して半信半疑なところがあったとのことでしたが、すべて愛のあるものだったというところで間違いないと確信を持ったと仰っておられました。

神様がされる事は愛しかなく本当に清いものだと思いました。

そして私自身、以前も感謝報告させていただいたのですがこの御神事中も後頭部や手や胸、背中より膿がでるというご浄化を賜り身体を清めていただいたこその事象だったのだとつくづく思います。

また、今まで他人軸で生き自分は別に傷ついたっていいやと、要するに自分の命を大切に思えていなかったのですが、この御神事のお供をさせていただく中で気持ちを大きく神様が変えて下さることがありました。

それは、一度だけ霊視中に感動して涙が止まらないことがありました。霊視中に感情は絶対いれずに集中しているのにこの一度だけはコントロールが聞かずに心が震えました。

それはある霊視で神様からの愛を感じ、心が温かくなっていき、愛されていたのかと私は生きていていいのだと心から思えた事象を与えてくださいました。少し表現が抽象的ですがこんなことがあると思いもしなかったので驚いてばかりでした。

ここまで深く満たされた気持ちになることは初めてだったのでその日から地に足がついた感覚でしっかり自分の人生を歩み与えていただいた使命をしっかり全うしようと強く思えました。

そして、今も思えております。

未熟な私でも神様にまっすぐ祈り、与えられた御神業に集中していればこんな風に神様が変えて下さるのだと実感しました。

そして、常日頃代表がまっすぐご神業に集中するようにと仰られる意図がこの事なのだとまた改めて感じました。

この感謝といただいた愛の恩返しの気持ちを常にもち、ひとりでも多くの方をお救いしていけるよう引き続き精進邁進させていただきます。

この重要な御神業の御供としてお遣いいただけたこと、書籍を来世に残す形でお出しすることに携わらせていただけたことを心より感謝しております。

出版された今、代表の御神格をお戻しするようなことはないように致します。

メシヤ様の元だからこそ、明かされていった事実であり

元々は無神論者だった私が改めて神様の御存在を揺るぎなく感じることができました。

メシヤ様、幸せです。素直にそう思えること、心より感謝申し上げます。

そして代表、すべてを受け止め愛をもって真向かいそして大切なことを気づかせて下さり

本当にありがとうございました。

何よりも、この世界メシヤ教会の誠でできたこのアットホームで陽だまりのような温かいこの場所を全力で作って下さっていること日々感謝しております。

最後にいつも集中すると止まらない私を時に無理にでも休ませてくれて、そして応援して、大切にしてくれている家族である夫にも感謝しております。

これからも愛と想い大切に強く進ませいただきます。

ありがとうございました。