自分を変えるには掃除から

代表:まあ、どこから変えていくかということ。自分の生活を。そうするとね、メシヤ様を見習うしかないわけですね。メシヤ様を見習うというと、出発点はどうしても掃除ということになります。メシヤ様が小間物屋を始められた時に、やはり一番先にお店の掃除から毎日始められているから、何かやろうとした時には、掃除からはじめるしかないわけです。

まあ、おかしなことで私がメシヤ教を始めた時に、家に帰って毎日掃除をしているわけです。
そうすると、うちの母親は布教所長をずっとやってきたんで、増やさんといかんという気持ちのほうが強いわけですね。信者さんを増やさんといかんという思いがね。それが、私が朝から晩までとにかく信者さん・・・うちが布教所にあの家を貸していたので、私からすれば掃除を全くしていないという、奉仕はあって、毎日日直に来て掃除はしていたらしいけど、私から見たら掃除が全く出来てないんで・・・例えばその、長押(なげし)があるでしょ、その中に綿埃がわんさかと溜まっているわけ、もう10年以上布教所として使っているんで。

それが全部取れるまで、掃除をずうっとね。中の綿埃を取るのにね、毎回ハタキを掛けながら取らないと取れないわけ。それをずうっとやっていると、もう朝から晩まで、あんなことばかりやってて、あれでメシヤ教としてやってて大丈夫なのかというようなね、そんなことばっかり言ってました。

それでね、うちのお袋もね、浄霊の本を持って配りまくったことがあるんですけど、配りに言ったけど、500円もするから、本を買ってくれないわけですね。それで、お袋も挫折してしまってね、これどうしていいかわからんって言うからね、私のやることをずっと見とけばいいんだと。一から、ゼロから創めるわけだからね。で、やっぱりひたすらそれをやるしかないわけですね。だからメシヤ様のやられたことを自分が今、足らないところは何かということではじめていくしかない。

で、1日寝ているというのは、メシヤ様も朝寝坊であったしね、それで暇さえあれば昼寝していた。だけど、だけどね、1時間も2時間も寝ないわけ。瞬間に寝てる、10分か15分くらいね。これは今、科学的に分かっているでしょ、15分の昼寝が一番いいっていうのが、科学的にね。だからメシヤ様は地で行っていたわけ、科学的に正しい昼寝を。

だからよく信者さんの家に行って、おいおい2階空いているかと言って、上がって15分くらい寝て、ありがとうと言って帰っていた時期もあったわけですね。そういうメシヤ様の何て言うか、人間として努力していたメシヤ様のことを、信者さん方はね、ほとんど知らないので、だからその神格化するという部分は、浄霊力の源として神格化していかないといけないところを、メシヤ様が全てね、神としてやっておられるというように依存しすぎてしまっているために、今回ここにも書いているように、教団がおかしくなった時に、メシヤ様が必ず旨くやって下さるということを口にしてしまう。自分は努力しないでね・・・自分は努力しないで、メシヤ様が必ずいいようにして下さるという、そういう安易な考え方に全部なっている。

しかし、メシヤ様は全部自分で切り開かれたんです、人間としてね。だから我々は、そのメシヤ様を信仰するということは、我々も切り開いていかないといけないんです、全てを。そのことに身を捧げるというのが、実はお母さんの手伝いをするということなんです。切り開かないといけない。

参加者:自分の部屋も中々掃除できないからね。

代表:ということは、そこから始めないといけないね。だから朝起きた時、自分の部屋の掃除が出来ておかないといけないわけですね。で、掃除の仕方というのもあるわけね。
例えば、この障子の桟にハタキを掛ける時に、どの向きで掛けていけば早く終わるかというのがあるんだけれど、ここだと、御神床がここだから、こう掛けていかなければいけないというところがあるんだけれど、こっちの部屋とかにハタキを掛ける時には、こういう方向で掛けていったらいいですね。こういう廻り方で・・・。部屋というのは、こういうふうにハタキを掛けたら早く終わる。こう掛けていくと時間が掛かっちゃう。

何故かというと、幼稚園から高校生までトラック競技をずっと体育の時やってきたから、トラックはこう廻るでしょ。逆に廻ると回れないんです。スピードが遅くなっちゃう。そのことを人間の体に植え付けるために、トラック競技を体育でやっている。その方向で掃除とかやると、早い。そういう学校でやったことを全く、成人したら生活に活かしてない人達ばっかりなんですね。

何のために小学校から一生懸命勉強したのか、親からやかましく言われてね。折角勉強してきているのに、成人してからそれを生かしていない。そういうことが分かると体育に一生懸命取り組まないといけないということになってくる。と、今度自分が子供を生んだ時に、子供の子育てが違ってくる。体育なんか嫌いよと言った時に、体育をしっかりやっておかないと、人間の中に備わるものが備わらないから、しっかり一生懸命ね、嫌いでもやりなさいと、いうふうな子育てが出来てくるわけでね。

だから一つ一つ意味があるんだという風に考えて、じゃあ朝起きて何をやろうか、というところからね、今までの生活とこれからの生活は、どういう風に変えていったらいいか、というふうに考えて。そうすると、朝、目がぱちっと開いて、もう軽々と動き始めるよ・・・。(笑)



参加者:目が小さいから中々開かないけど・・・。(爆笑)

参加者:部屋中、みんなのところへ御書が掛かっているんですから

ね。浄まってないといけないんですけど・・・。(笑)



代表:部屋には何が掛かっているの。



参加者:ええと、何が掛かっていたかなぁー・・・。(一同大爆笑)



参加者:それ位見てないんだね。(笑)



代表:自分の部屋のことだから・・・ハハハ。

 

【平成24年2月メシヤ講座 岡山支部より】

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