自分づくり

「メシヤ講座」の眼目は教・論・律

その一環として「メシヤ講座」を開催しているのですが、この講座の眼目は教・論・律です。教とはメシヤの教えですね。論とは、その教えを基にして世の中を観て、どう解釈するかということです。律は、解釈をした上でどのように生きていくかということを求め、生活していくことです。

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そこで、今年の課題としてもらいたい教えとして提示した『神格をいただく道』が重要な意味をもってくるのですね。生活の中に降ろして考えてもらいたいのです。どの項目が自分に欠けているか。それが課題となるのです。朝起きてから夜眠るまでの自分の心言行を顧みると、‘まずこれからだな’ということが見えてきます。

『人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯(かく)の如き人間こそ生甲斐ある真の幸福者と言うべきである。』とありますから、一歩一歩コツコツ取り組むことが大切ですね。また、その姿をメシヤ様はご覧になっています。」

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‘自分づくり’について

― 先月、問題解決の鍵は‘自分づくり’にあるというお話をお聞き致しました。大切なことと受け止めさせていただきました。実際どのようなことに留意したらよいのでしょうか?

「問題というのは出発点に原因がある場合が比較的に多いですね。見切り発車的に物事をスタ-トさせてしまう。次は、途中で‘このままではいけない’と気付いてもそのままにしてしまう、という優柔不断さですね。決断力の弱さですね。ですから、問題の起こったと見られる出発点に戻って、そこからやり直さねばなりません。

それからもう一つ、自分の精神の癖ですね。優柔不断さや決断力の弱さもそれに当たるでしょう。この精神の癖が絶えず問題を引き起こす場合があります。

問題の出発点などは、自分で考えたり、有識者に相談すれば次第に解りますし、対応策も解ってきます。解ったことから取り組んでいけば解決へ向かいます。ただ取り組みを継続できるかどうかということが肝腎なことです。人間の心の弱さが継続を阻むことが多いですね。弱さを克服する時に力をくださるのが神様です。そこで信仰が必要になるのです。

また、神様は正しい祈りは叶えてくださいますが、正しい祈りかどうか、ということが問題ですね。神様のご意図というものは、奥があり、そのまた奥に奥がある、ということですから(笑い)大変なのです。やはり『成長させてやろう』という愛があるのですね。成長するために取り組まねばならないことの代表例は以前にもお話しましたが、‘依存性’と‘幼児性’を取るということです。

こうしたことを考える時に精神の癖というものが課題になってくるのですね。これもジッと自分を見つめていますと、解ってくるのです。しかし直すに直し難いものなのです。何故かと言いますと、精神の癖とは無意識で物事や出来事に反応するものだからです。無意識だからこそ中々難しい。詳しくは信仰読本を読んでいただくと解ります。

突き詰めて考えて、課題を明確にしてコツコツ取り組んで行くことで直していくことができます。様々な宗教が行う修行というのは、本来そのことが目的なのですが、勘違いをして修行を捉えているところが多いのが実情ですね。」

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自らの特性や精神のクセを探る手がかり

神様のお話に触れる折に心掛けておきたいことは、自分にどのように繋がってくるかということであり、そこから何を得ていくかということです。まず、霊統から来る因縁使命が判明することがあります。次に、魂にシミのように残り、精神のクセとなって現れてくる源が解るということです。

例えば先月のお話で、天邪鬼(あまのじゃく)の語源になっている事件がありましたね。国常立尊様を排斥し、おとなしい性格の盤古神王様を看板にして立て実権を握った天之若彦命。そうしたやり方が、染み付いているところがありはしないかということです。

私達が日常生活で何気なく考えたり、しゃべったり、行なったりする内容に強く影響を及ぼしています。私たちの精神のクセは両親をはじめ成長する過程で出会った人や環境から刷り込まれものもありますが、それは表層のものです。やはり三千年来の罪穢れに由来するものが大きいですね。

そのことを認識した上で人格形成に取り組むことが大切です。本当の意味での自己教育力ですね。そして浄霊は魂にシミのように付いている曇りを取り除くという想念で取り次ぐことが大切です。

また目的のためには手段を択(えら)ばぬという素盞鳴尊。尊の降臨地は朝鮮ということになっていますので、現代の北朝鮮対国際社会の情勢に照らし合わせて考えると納得できるところがあるのではないでしょうか。

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本日から更に人格を磨き、体験を積み、学習を重ねる

まず人格を磨く、ということに一層取り組んでいただきたいと思います。これは、度々触れてきたように、病気のところを救われて「浄霊によって救われた。有り難い」と言って、また無理をする。そうしたことではもったいないということです。救われたならば、以後注意深く生活をして行くように、自分を治めて行かねばならないのです。浄めていただきつつ新たに罪穢れを発生させない生活を送ることが肝心なのです。

それから日常的に口にする言葉ですね。ご自分の発する言葉が、その場を明るくしたり、暗くしたりすることが判り、日々言葉を練って行くことを心掛けることが大切です。

また、巷間‘人の不幸は蜜の味’などと言われますが、自分は何時までもそんな状態ではいけない訳です。自分がちょっと動いただけでその場が明るくなったり、物事がうまく運んだりするように心掛ければ、どれほど気持ちよいことでしょう。気配り、心配り、勘働きに努めながら、日常の心・言・行を高めて行く、その積み重ねが人格を磨くことに繋がります。

それから浄霊力が強まる訳ですので、とにかく浄霊を機会あるごとに取り次がせていただいて、未だ神様の御光に包まれたことの無い人に御光を届けていただきたいのです。そういう体験を数多く重ねて行く、ということが大切です。この体験を積むということが二つ目に来ます。

三つ目には、智慧をいただくためには私達は学習を重ねて行かねばなりません。学んで行く姿勢は、メシヤ様を見習うとよいです。それが追体験を通して向上を図るということですね。

メシヤ様は、ご在世中到る所へラジオを置き、ニュ-スの時間になると必ず耳を傾けられておりました。散歩の時も側近奉仕者がラジオを携帯し、ニュ-スの時間になるとスイッチを入れられました。

また新聞は、朝見出しにチェックを入れられ、夜他のお仕事をされながら側近奉仕者に読み上げさせておられたようです。私達も経済的に許される限り多くの全国紙を読んで行きたいですね。そして、それプラスいろんな書籍を読むということを心掛けていただきたいものです。あるいは、ネット上の情報量たるやすさまじいものがありますから、その気があり、精査する注意力があれば幾らでも学んで行くことができます。

 

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